七母天の姿を探して
摩多羅神の名の由来となったマートリカー、と七母天周辺の神々について探す中で
「昴」= すばる
(プレアデス)
という音のもとではないか?と思えるものが
出てきたので書いておきます。
スヴァルナ・プラバーサ・スートラ
なる言葉に出会いました。
日本では「金光明経」という名称です。
スヴァルナ = 黄金
プラバーサ = 輝く
スートラ = 教え
4世紀成立と考えられている仏教仏典。
日本では護国三経のひとつ。
内容は 以下Wikipedia
主な内容としては、空の思想を基調とし、この経を広めまた読誦して正法をもって国王が施政すれば国は豊かになり、四天王をはじめ弁才天や吉祥天、堅牢地神などの諸天善神が国を守護するとされる。
読誦して正法をもって国王を施政すれば、
国が豊かになり、諸天善神が国を守護してくださる、と考えられていた経典です。
そのうちの守護神さまのひとつ「堅牢地神」けんろうじじんなる存在が気になって調べました。(名前が聞き慣れなかったので)
というのも
弁財天は、シヴァ嫁パールヴァティですし、
(神の嫁とは、神と一対の女性性ということです)
吉祥天はたぶんラクシュミ
四天王はシャクティの王であるインドラ=
帝釈天に仕える四神です。
ビルマの四天王 可愛いですね(笑)
国民性や文化で変化しますね
また、持国天は
怖い形相にしたら、言うことを聞くイエ怖そう=強そうな見た目なら、守ってもらえると思ったのでしょうか?
たくさんの宗教で偶像崇拝をやめなさい、
と言っている理由は、祈りの本質がずれてしまうからです。(日本の四天王がおっかない見た目なのはそれなりに効力がありますが)
祈りの根幹=もっとも重要な部分がなくなってしまい、本質ではない、周囲ばかりに目がいって、時代を経るほどに
「 祈りではなくてそれを包んでいる
周囲のもの=包装紙 」 が重要となり、
包装紙さえちゃんとしていれば、
「 祈ったも同然 」 となったのでしょう。
そして、結局は祈り方も、祈るときになにを基本とし、なにをたいせつにしないといけないかもみんなわからなくなってしまったのです。
だって、中身より包装紙を大事にしたんだもの。そりゃあ、わからなくなるよ。
包装紙 =しきたり、見た目、文言
お供えする物体、やり方、順番などなどなど
神さまと向き合うことは自分と向き合うことであり、そこに誠実さや信心が生まれます。
神さまを「そこにいらっしゃる」という
ことにしている三次元の建物や、係の人物は実は神さまとはあんまり関係ないです。ある役割をもってそこにあるモノであり、いる人なのです。彼らは神ではありません。
「外側」は神ではないです。
でも多くの人が「外側」「上辺」やシステムや作法、やり方を気にしますね。
なにか粗相をしたなら、
「神さまごめんなさい。うっかりして。
失礼しました。」
ときちんと心をこめて謝ればいいのです。
粗相ごときで神さまは怒ったりしません。
粗相に怒るのは、システムやらしきたり
やらを決めている人間です。
日本は氣の国ですから、公序良俗に反しない落ち着いたたたずまいでそれぞれの場所での
ルールに従うマナーは大切ですね。それは、個人的な信心とはまたちがうものです。
(ただし、神官や巫女職はこれにあたりません。神社仏閣のお仕事をされている方は職業ですから入らないです。ヒーラーや占い師は神の使いですから、一般の方とはルール=神さまからの扱い=厳しさが違います。)
祈りで一番重要なのは、包装紙ではありません。「信じて祈る」という気持ちそのものが、一番、重要なのです。
またズレたように思えて、書きたいことをかきます。
数十億人が違うよ、といっても、やめる気はありません。
これからさきも、もう役には立たなくなった、数千年前の誰かの決め事を、抱きしめて生きていきますか?
その誰かが神と繋がってなくても?
それでも、
数千年続けてきた概念をお守りのように
変化する勇気を持たず、知らぬ間の惰性とともにこれからも続けていくのでしょうか?
それはそれでいいかもしれませんが。
神の言葉を伝え、民のために祈祷の果てに精魂つきて死んでいった数十の魂が伝えたい、
そう願うことを今後もお伝えしていく所存です。