前回まで

直観では摩多羅神が七夕と関係している、と思う。実際には摩多羅神の名前の由来が


「サプタマートリカー」という女神集団


だったことがわかりました。

そして、その女神たちはどうやらプレアデスと関係していたのです。

 

摩多羅神と同体・習合したとされる、

「七母天」という言葉を見たとき、なぜか

私は七夕を思い出していました。

ブログを始めるきっかけとなったドラマ

「三生三世枕上書」の帝君のプロポーズを

彩った、中国のバレンタイン=七夕祭

=女児祭り­乞巧奠きつこうでんのことを。

 

七夕祭・七星娘娘などの項目を読んでもいまひとつ明確にならなかった。でも関係しているはず、と直観は囁き続けました。

 

摩多羅神と七夕祭の関連を見出そうと

やっきになりましたが、見つからず。

 

ところが、マトリカスの英文説明内容を

読むと、プレアデスと関係していた、と

あります。

 

ヒンドゥー教のサプタマトリカについて

ウィキペディア英語版 以下翻訳引用

 

サプタマトリカは

元々はプレアデス星団の 7 つの星の擬人化で

あると信じられていましたが、世紀までに非常に人気があり、世紀以降は女神の神殿(にサプタマトリカスの像があるのが)標準的な特徴となりました。(赤字は追記)


両脇にシヴァとガネーシャのいる像

また、中国語版wikipedia「プレアデス星団」

の記述には

 

孔子の予言(論語)には、かつてプレアデス星団から来た 5 人の老人が聖者孔子に啓示を伝えたことが記載されています。“

 

と事実かどうかわからない記述がありました。地球に近く、柔らかな明るさの星についての言及

 

●ギリシア神話のアトラスとプレイオネの娘たちがオリオンに追われる話●オーストラリアにも空に逃げた7人姉妹の話●ネイティブアメリカンには輪になって空に上がった7人兄弟の複数のお話がある(参考・引用""サイトStarwalk2「プレアデスの7姉妹」より)


など

古代におけるプレアデスの7番目の星の

喪失が世界各地で複数の神話や伝説を作ってきたということがわかります。

 


プレアデス星団のことを中国語で

七姊妹星團」wikipediaと訳しており、

七母天を七姉妹ともいうと百度百科

にあり自動翻訳で、どちらもセブンシスターです。

 

プレアデス星団の物語は起源神話

 

北半球では冬に、南半球では夏に非常に目立つ天体であり、オーストラリアのアボリジニ、マオリ、中国人、マヤツァブエク呼ばれるを含むすべての古代文明で古くから言及されて

以上ウィキペディア中国語「プレアデス星団」日本語訳より


きたのは、


星の動きが

" 農民にとっては収穫と植え付けの始まりで、船員にとっては航海シーズンの始まりを示して "いた、こと以上に心を揺さぶったなにかがあったのでしょう。


たくさんの呼び名や物語は、


私たち人類はいったい

どこからきたのか?


という自身の起源に対する、夢と不安の入り混じった憧れからプレアデス星団にそれらを見出したかった古代の人々の情念の証でしょう。

 

もう一度「七星娘娘」を見直すと

「機織り娘が去ってから残った娘は6人になって」と

全体では1000個あるといわれるプレアデス星団のひとつの輝きの喪失に似た形跡がありました。

 

12000年前、北極星は琴座のベガでした。

 

翻って摩多羅神と集合した北辰信仰、

北極星信仰の聖地、なる能勢妙見山

のサイトには

 

「 北極星を守護する星として、

北斗七星と輔星の8つの星  」

 

とあります。

 

摩多羅神は 輔星 を表している、

と円泉寺さんのサイトに記載。

 

さて、ここでプレアデスと北斗七星は

違うでしょう?とお気づきですね。

そう、違うのです。

 

星についてのサイト=Starwalk2「プレアデスの7姉妹」 には

プレアデス星団の7つ星

のことをこんなふうに表現しています。

 


北斗七星の小さなコピー

がほこりの雲に囲まれているように見えます。

 

と、

 

星を見る玄人さんもプレアデス

は北斗七星のコピーと言えるほど

「小さいけど似ているね」といっているのですね。

 

それだけではありません。

ベガはもちろん、織姫ですね。

日本に到着した「織女しょくじょ」

柿本人麻呂は「たなばたつめ」の歌を

読んだそうです。

 

そのもとになったであろう

「牛朗織女」の中国の伝説には

七仙女が出てきます。

 

織女はその七仙女の一人であり、

七仙女はいくつかの姉妹たちの総称で、

そのひとつに昴宿七星=

プレアデスのセブンスターも

入っていたのでした。

 

七夕、プレアデス、そして・・

 

私は「織女牛朗」の記事をつらつら読んで

唖然としました。

 

すっかり成長して大人の女性になったディリラバさんが、子どもっぽい娘を演じるのがどうにも生理的に受け入れがたく、すっとば視聴していたシーン・・・・。


その原型が「牛朗織女」には書いてあったのです。



つづく