トート神・セベク神・大メタトロンと

常から会話をしているチャネラーとして

古代エジプト時代最高位の神官だった魂と

リンクしているものとしてお話させて

いただきます。

 


kh音がどんなか 

「こー・・こー・・」

言って息を深く吸い・・・


ゆっくり静かに

吐く、などをしていたら


ジェド神が下りてきて

嗄れ声でいろいろしゃべった。


中国語で言えば、

「帝后回来了・・・・・帝后回来了~!」

という意味のことを涙を流して

淡々と喋った。


その様子は

感涙、というのが正しいだろう。 

 

ウォーリス・バッジ氏の書籍

「古代エジプトの魔術 生と死の秘儀」

(平河出版社石上玄一郎訳)

P55「テトの護符」の、

バッジ氏の原文The Tet=テトとは、

ジェドDjedのことです。

ひとつは小型の手にもつアミュレットのこと。アミュレット=護符は、本体の小さな分身として働く作用があると信じられていました。

 

ウィキメディアコモンズより

エジプト ファイアンスは、古代エジプト焼結石英セラミック素材。結プロセスでは、石英がガラス化されるにつれて「[素材]が真のガラス質コーティングで覆われたもの




本体は、木製の👇

絵のような等身大の、身長測定器のような

Djet pillerジェド柱、と呼ばれるもので棺の裏面や内側、あるいは柱や壁画にもよく描かれているものです。 

中央

セティ一世がイシスの助けを

借リてジェド柱を立ててる姿

ウィキメディアコモンズより

 


この絵からすれば実際に柱として

直立させて、使用していたと思われます。

 

 検索結果画像


左側が ネフェルタリの墓内部の壁画
柱にジェド柱が描かれている(笑)
自分のものではない副葬品やお墓そのもので金儲けをしている連中は生涯の加護を失います。


立つ姿勢にして死者(あるいは棺、あるいは霊魂を呼び出して行った可能性)の身体を立たせた可能性。

 

「ジェド柱」はチャクラやカー経路を刺激する

通電機のような役割だったのだろう、と

推察します。


再生に重要だったことのひとつが

クンダリーニを

あげることだったでしょうから。


木製で、下半身にあたる部分に

ガラスが施されているのに通電?と疑問を

呈される、と思うけれど、王族の肉体に

反応する鉱物が使われていただろう、と思う。

王族は特別な体質をもっていたはずなので

現在の人類とは、違う反応をしたでしょう。

 

同書籍に

手にもつジェドを「金」にしなさい、と

指示されていたが、金ではなかった、と

あります。

 

どうして上の存在たちが棺の裏面や

内側、あるいは墓近くの柱や壁画に

このジェド柱を絵に描かせたか?

またそれは、棺の重要な絵柄だけでなく

木材、ガラス、

金色の象嵌がなされていたものなど、種々様々で

素材が同じでなければ用をなさないんじゃ

ないの?と思われるのも当然です。

 

 

【描くことの意味とは】

「ジェド柱がそこに描かれた」こと自体が

神に仕える画家がその必要性を認識して描くのです。その行為の際、描いた絵に神が降臨し望んだ作用が働くことを信じ自身にも絵にも、特別な力が宿る、その立場にいるのだと自覚して描いています。誇りをもって。

その信心が力なのです。

 

人間が思考するとそのエネルギーに見合った粒子が作られます。


それは、古代エジプト時代に限らず

現代でもまったく同じです。

 

信心=意思がない人には、

なしたことに魂が宿りません。


ながら作業には、信心がありませんので、

出来上がったモノがなんであれ、作業者の

真心の粒子は入らないということ。

 

【亡き王に尊敬と再生の信心の念を送る行為】

魂が無事に上昇し再生することを願って

心を込めて描くことに意味があるのです。

さらに神官たちが儀式を行うとき

 

たくさんの祝詞を唱えますが、そのときに

異様なほど多くの神の名を出すのは、神名ごとに

「○○について守る」ことを神自ら遺体に言い渡す形式です。信心を個別に表すことで、信心の粒子が累積して多大になっていく、という狙いがあります。トート神がわざとさせているのです。


人間の感情が弱く不明瞭なので、あえて

違う神の名を出して、個々の神が何を

守護し、特定の部位について守ることを宣言

する。それを繰り返し行うことで、明瞭な方法と意思を提示して確定的な決意・再生の願いの粒子が巨大になって王の亡骸=実際的には魂とエネルギーボディの周りに、集合するのです。

 

同じ祝詞=呪文だけでは、

ひとつの風船をひたすらに

ふくらましている、という状態。


違う神を登場させて、

守護する事柄を個別に唱えることで

何種類ものいろとりどりの風船で

亡き王を取囲み、次元上昇の浮力にさせる

ということです。

 

 

目標達成の決心とともに宣言する、

その瞬間に達成の意思粒子がこの世に出現します。自身の意思が強いほどその粒子は大きくなって行動のすべてを達成到達へとぐいぐい牽引していく力となるのです。

 


儀式のあと

見守っていた遺族・家来・関係者たちの信心=意志もその棺にまとわりつきます。信心とは、王の業績・治世のおかげで得られた豊かさに感謝の念が強いほど良く、遺体を神官たちに丁重に恭しく取り扱わることで、エネルギーボディに宿っている亡き王の魂も正当な神の代理によって自身の身体が神の教えに一字一句違うことなく取り扱われてる

 

その事実を目の当たりにして、

「これでこそ間違いなく私は再生できる」

と信じることができるわけです。

神官だけでなく、親族やおつきのものたちに

敬愛と感謝の念で

「再生してくださいますように」

と言われて嬉しくない王などいません。

 

王ともなれば百名以上の人々の

信心が亡きがら(ミイラ)に関わります。

 

それが、魂の波動を上昇させて、

アセンション=次の段階の生命を得る

=再生する=シフトできるようになるのです。

 

もちろん、そこで重要なのが

王の生前の人格・行動です。


民を統べるものは、

利他のために生きなければなりません。


王というのはそういう立場の人です。


利他のために生きていない場合、

あるいは、それよりもっと悪いのは、

他者を害して生涯を送ってきた場合は、

非常に低波動なエネルギーボディに

なるために

数百人の神官・家来・親族など周囲の関係者

が真からの再生を願う信心を贈ったとしても、

次の段階に上昇することは難しくなる

と言えたでしょう。

 

いまでも同じことが言えます。

他者を害して生涯を送った場合、

次の段階にいくことはファラオ同様に

たいへんに難しくなる、と言わざるを

得ません。

 

その場合、再生とはいわずに、

及第ができなかった、落第した

ために留年、やり直しということ

が起こります。


やり直しさえさせてもらえない場合も

もちろんあります。


 

他者を害して生きた場合は、

その回収を行わなければなりませんので、

次の生では、「 害される側 」を担う、

あるいは害された人々を救済する立場に

なる可能性が高い、と言えます。

 

やったことのしりぬぐいは、

自分でしなければならないのです。


それは私たち三次元にいる人間だけ

ではないのです。

それ以外の次元存在たちも同様のルールのもとにいます。



そこに差別はありません。