摩多羅神と一緒にいる丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)の二童子について調べていました。 

 太陽神と同一であるミトラス(太陽神よりも格上であることを示す、太陽神がミトラスに跪くレリーフ部分)👇

そしてその脇侍カウテスとカウトパテス
この2人は日の入りと日の出を表すと同時に天界の12星座のひとつ、双子座のことも指している・・という解釈もあります。つまり、双子も日の出・日の入りも「セット」であり、ここから陰陽・バランス・対という意味も考えられますね。

 

トーチをかかげているカウテス(向かって右)、トーチを下向にしているカウトパテス(同左)。この2人が丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)の二童子のことかもしれない、あるいは、異文化を通って変遷したものかも、ということを勘を頼りに調べてみました。

「爾子多(にした)」

「多」ということで、「多羅」はヒンドゥー語「光り輝く」「星」という意味の言葉の音写です。多についてはこれ以外はまだです。「 爾子 」という文字は、意味でいえば「(古語の)あなた の子(息子)」


日本語で「爾」は、ニ・ジ
あるいは16世紀の写本「神武紀」で 
やっこ、と読んでいたのでやや侮蔑的で
卑しいという意味もあったようです。

ウィキソースでは年代の隔たりが
ありますが1900年ころの日本正教会の
聖書訳でなんじ」という意味で
「 爾 」を多用。

中国語ではあなた・その・あの~という
言葉で、簡体字では「 尔 」。
どこかの質問サイトに古代にのみ「あなた」という意味で使われていた、とありました。これにニンベンをつけると
華ドラでお馴染みの「ニィ」と読む
「  」あなた という意味で、
下に心をつけると「ニン」
87歳の母は「  あなた 」
という漢字を知っていました。
それと「やっこというのは、大名行列の
際に踊る人」だということです。


音でいえば、意味は違うけれど
「息子=儿子Érziアールヅ
 ルの音がちいさいですが、日本人のあくまでなんちゃって読みだと、このアールヅに聞こえます。
娘は「女」と表すので、性別は女ではない
といえるでしょうか。
息子を表すと同時に発からいうと、
数の二は同じくEr(抑揚については不問)であり、「二人の子」のことも
表しているように思います。日本語の音と見た目だと「にし」で「二人の子」に見えてしまいますね。爾という文字が中国語で
二を表す「兩リァン」という字に一見似ている
と日本人なら思うかもしれません。
ここでは「二人の子ども」ということで
「二童子」と同じ意味、と考えることにします。

 

ところで話が少しズレますが、多くの宗教で歴史的に女人が入れなかった理由、それは男性側が特に欲を断つことが肉体的に難しくなる、ためと思われます。ですので、月経のことも含めて肉体が「穢れている」という言い方で女性を排除していたようですが。その実情は男性側が欲望を抑えることが甚だ難しく双方に実害が出る(女性は貞操の危機、男性側は宗教的な禁欲を果たせない)ので避けなくてはならなかった、というのが正しいのだろうと思います。禁欲とは名ばかりの事実上、偶発的・必然的どちらにしろ男性同士なら子を宿すことはないのでのちのち問題になりにくい、というのも千年前ではふつうだったかもしれませんね。おそろしい話ですが。 

メタトロンに女人禁制について聞いたところ

「肉体の在り様からして、まずは主導的にならざるを得ない男性をコントロールするために人間の言葉でいえば指導する必要があった」という返答でした。閑話休題。


つぎに「 丁禮 」です。

「君、花海棠の紅にあらず」で、京劇の物語を調べている時に「年数が経過して再会。別人を装っている自分のことを夫が気づいてくれるかしら?くれないのかしら?」というドキドキ設定(武家坡)が。日本人の私からしてみると「なんて奇妙なのかしら?変わった文化の人たちだなあ」と思っていたのですが。偽らざるをえない厳しい地理的な状況が(別部族からの襲撃などを原因とした離散etc実際的にあったのだろう、というのと。考えてみたら、中国ドラマはこの「別人になりきっている私、あるいは別設定に投げ込まれた私」という設定を視聴者が「この人物はひとつ前の物語の同一存在だよね?恋の相手役が気づくのか気付かないのか?縁はどう生まれる?」視点で見ることになる物語が何百回繰り返されていることでしょう()中核になるものは「おんなじ」だけど、設定はあれこれ違うよ~ていうやつです。

この要素から、ヒンドゥ語などの外国語を「音写」するときや、その言葉を別の当て字を使う(仲間内などで隠語的に)のが、そんなに珍しいことではないのでは?って思いました。だから文字とその意味などの中身も重要だけど、それ以上に音も重要なのではないのか?と。

 

「丁礼」を使う言葉が中国語にあり、

「成丁礼」といいます。 日本でいうところの成人式のことのようですが、グーグル翻訳にかけると「通過儀礼」と訳されました。丁dīng lǐ これも日本語のなんちゃって読みをすると、ディン・リーになります。これを似た言葉で「」と翻訳にかけると「セント・マルティンの儀式」と訳されました。「禮」は儀式という意味があるようですね。

 
似たような音で丁霊・丁零「ていれい」という
言葉あり、発音はDīng língディンリンと聞こえます。
前3Cから後5Cモンゴル高原に遊牧していた
トルコ系民族を意味し匈奴に服属、ということです。
(以上weblio
 
ちょうどミトラス教がローマで起こっていたころ。
丁霊と言われた遊牧民は周辺諸国に他所の文明を
持ち込む役割をったことでしょう。丁霊を指すティルク系民族は複数あり、ウィグル民族も入ります。華ドラ古装でたびたび出てくる周辺諸国の方々。
ディリラバさんはウィグルの方で、天女の舞より
民族舞踏という印象が強いですね。ドラマ上外側
からやってきた異民族は、物語内でも天帝への祝福・奉納としてよく踊りますし貢女としての描写も
あったように思います。
 

この神は、丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)の二童子と共に三尊からなり、これは貪・瞋・痴の三毒と煩悩の象徴とされ衆生の煩悩身がそのまま本覚・法身の妙体であることを示しているとされる。(以上Wikipedia「摩多羅神」より)

 
三毒この三人表しているわけですね。
舞踏は唐においては性をひさぐ要素のある、酒宴を盛り上げて上のものに取り入る、いわばいかがわしい要素をもつもの、それを行う外から来た流浪の民を表す語に貶める
ニュアンスがあってもおかしくはないでしょう。
そして上述の翻訳からみれば、「丁」が外国の
ものを表す当て字に使われてきた言葉
(ローマ字のTと関連)かもしれないので、「ティルク系の民族の儀式」という意味もあった
かもしれません。
そこからみると、舞をよくする遊牧のティルク系
民族を指す「 丁霊 」と「丁礼多」に関連が
あったのでは?と考えることもできそうです。
 
老親が奴(やっこ)=踊る人という認識で
日本では踊りをするのは卑しいという要素があった
のが言葉に残っているということでしょう。つづく