私の実家からほど近いところに岬がある
現在は岬全体が展望公園になっており、漁業無線中継基地がある
県沿岸は米軍の南九州侵攻の第一目標と予測されていたそうで、米軍上陸を迎撃する為の特攻艇『震洋』と特殊潜航艇『回天』の基地が置かれた
岬近くの小さな港にも第117震洋部隊が配置されたそうである
震洋は全長5m、幅が1~2mのベニヤ板で造られたモーターボートで、
先端部分に250kgほどの爆薬を積んでいた
敵鑑に体当たりをして操縦士自ら爆死する特攻兵器だ
港の後ろにあった崖に震洋の格納庫があり、
当時まだ幼かった叔父は親の目を盗んでよく見に行ったらしい
『沢山のあんちゃん達が訓練していた』と話してくれたことがある
察するに訓練生は10代後半くらいか
☆☆☆☆☆☆☆
母方の大叔父は、当時のことをよく話してくれる
軍の輸送船に乗って南洋へ行ったこと
航行中、米軍のグラマン戦闘機が上空から雨の様に弾を降らせたこと
撃たれた多数の乗組員を甲板の上で荼毘に付しながら航行を続けたこと
目の前で海軍の船が沈んだこと
青い海が血と油で染まるのを見たこと
この戦争は負けると思ったこと
☆☆☆☆☆☆☆
大叔父の長兄と次兄は南洋で戦死している
『思い出すのも嫌だが、誰かに話したいとも思う』と云う
抱えて生きるには大きくて重い荷物なのかも知れない
黙祷