たまには真面目に
今年度、紙芝居の講座を受講し始めた。
子どもの頃、残念ながら街頭紙芝居というものを観たことはなく、幼稚園で読んでもらう紙芝居が好きだった。
幼稚園でおもらしした時、ブルーな気分で先生に連れられて、着替えをしてもらって、
その着替えする部屋には、紙芝居がたくさん置いてあって、着替えもそこそこに
『うわぁ…紙芝居だ…たくさんある…あれ見たな…』などとぼんやり思ったことを、いまだに覚えているのだから、
幼稚園の先生からすると『おもらしして着替えてんのに、ふわーっとして、落ち込んでる様子もない…この子大丈夫?』とか思われていたかもしれない。
紙芝居の絵は、迫力があって、飛び出てくる感じが好き。
先生の方の後ろから紙芝居を見ると、白黒でちっちゃい絵が描いてあって、前に回ると、同じ絵のド迫力。
この違いがたまらなくて、先生の方行ったり、前に行ったり、トリッキーな楽しみ方をしていたので、
今の時代だったら、間違いなく、多動…注意欠陥で○○障害と言われるのだろうけど。
小学生では、ウロウロ見るなんて厳禁だし。紙芝居を観る機会はあまり無いかな?
あんな楽しみ方が出来るのは、間違いなく幼稚園児のみ許される極上の楽しみ方だと思う。
職場で、そうやって私の方の絵を見て、また前に行って紙芝居を見る子が、今までに一人だけいて。
『…あぁ、この子、紙芝居、好きなんだなぁ』と、共感しすぎるほど、共感したものだ。
さて、紙芝居が好き。というだけで、紙芝居を演じてきてしまって、ふと『…これでいいのかな?』と思うようになった。
だけど、聞ける人がいない。読み聞かせでは、聞ける人がまだいるので疑問点がそれなりに解消出来るのだけど、紙芝居の事を知る方が、全くいないというのは、キツイ。観客である子どもだけが先生で、なんというか、感覚だけが磨かれている状態だった。
そこで
紙芝居講座を受講して。紙芝居の歴史、紙芝居の理論なども学ばせていただいているのだけど『こんなに深い世界だったのか…だから、魅力あるんだな』というのが感想。講師の先生は言う『例えば、ここでのやり方を学んで、別の方が違うやり方をしている時、「それ、違いますよ。」と強く発言するのは、やめた方が良いですね。 そういう話しになると、きちんとした理論が必要になってきますので、理論に基づいて話しをしなければいけませんから。』
なるほど。
『なんとなく、感覚でこうやる』ってのだけが育っている私には、『理論』というものが全くなく。
話し合いなどで、論破されることが多いのは、このせいだな。(何にしてもね)
理論だけ育って、感覚が全くない。という人より良いのかな?とも思うけど、「んー…なんとなく。」と答えるよりも、きちんとした理論に基づいて話すことが出来るのは心強いね。と、感じた。
先日は紙芝居を実演し、講師や生徒の皆さんに私の紙芝居を見ていただいた。
いろいろご指摘いただいたので、今後の保育に役立てたい。
umi