前回のつづき。
「感じたことがある」
という事実と、
「感じた内容が事実である」ことは
別だったりする。
ここを混同してしまうと、
自分の思い込みまで
「直感」や「感覚」という名前で
正解にしてしまうことがあるから
要注意。って話だった。
こういうことを書くと、
「え。でも、
あなたが感じたことが
正解って言うよね?
」
「頭で考えるな、
感じろって言うじゃん
」
という人が必ずいる。
あの……。
私が言いたいのは、
「考えるな、感じろ」が、
思い込みを検証しなくていい
免罪符になったら危ない
ってことなんです![]()
![]()
感覚を殺して、
頭だけで判断しろ、ではないのね![]()
感じる。
感じて、
そのままふわっと進める時はいい。
でも、
感じて「モヤッ」と
する時がある。
モヤッとして、
サッと即座に避ける。
そして、
それが正解の時もある。
これは直感の時。
でも、
モヤッと感じるたびに、
即座にサッと避けることを選択して、
場所や相手を変えても、
ずっと同じ「モヤッ」が
ぐるぐる巡り続けることがある。
あるよね?
その「モヤッ」は、
本物の直感から来るものなのか。
それとも、
あなた自身が向き合いたくない
潜在意識の反映なのか。
これは、似て非なるもの。
直感から来るものなら、そのままでいい。
でも、
向き合いたくない潜在意識が
反応して「モヤッ」としているのなら、
そこはちゃんと考えたり、
掘り下げたりして、
なぜ私は、これに
こんなに反応するんだろう?
と、その「闇の根源」を突き止めてあげる。
それが、
同じモヤッを
何度も繰り返さず、
今までとは
違う選択をするためには
必要なステップ
なんじゃないかと思うんです。
そして、
これはネガティブな反応だけじゃない。
「わぁ、わかるぅ」
「うん、いい」
「私もそう感じる」
そんな反応だって、
本当にそう感じている?
と、一度見てみると面白い。
「感じている=わかる人」
「わかる人=できている人、すごい人」
そんなふうに、
いつの間にか
自分の中で結びついていて、
「わかる人だと思われたい」
「感じ取れる人だと評価されたい」
そんな
自分でも
気づいていない欲求が、
「わかる」
「感じる」という
反応の奥に
隠れている場合だってある。
感じたものは大事にする。
でも、それを即「真実」にしない。
考えて、見直して、
場合によっては相手にも確かめる。
むしろ、その工程があるから、
思い込みと直感を
少しずつ見分けられるようになる。
「頭で考えちゃダメ」
で全部終わらせてしまったら、
それこそ、自分の世界だけで完結してしまう。
感じることも使う。
考えることも使う。
すぐには分からないものを
見つめる勇気を
素直にもってみるのも
いいんじゃない?
そうやって
あなた自身の中にあるものを
見ていくからこそ、
今までの自分の世界の外へ
出ていけるんじゃないかな。
同じ「モヤっ」のグルグルを
どうしても繰り返しちゃって
ずっと抜け出せないままでいる方は、→こちら
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