昭和20年(1945年)8月14日にポツダム宣言を受け入れた日本国、
同時に連合国と停戦(休戦)状態に入りました。

しかし、一方的に「日ソ中立条約」を破棄した露国(ソ連)は、
同年8月18日未明、千島列島最北の日本国の領土「占守島」に攻撃を仕掛けました。

正に卑怯極まりない行為であります。

自衛の為の反撃は許可されていた日本守備隊は応戦します。
午後に入り、各部隊は命令により反撃中止、師団司令部は、
師団参謀長や歩兵旅団長らを派遣し、20日に停戦協定を締結します。
当然、日本兵は武装解除され捕虜となりました。

 

その後も、露国軍は千島列島各地に駐屯する日本兵を武装解除しながら南下を続け、
8月31日までにの知床岬の北東約300KMにある得撫島の占領を完了しました。

この時に捕虜となった日本兵は、その後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ
連行、抑留され、過酷な強制労働によって、命を落とす事になったのです。

また、露国軍は、8月28日に択捉島に上陸、9月1日には国後島、色丹島に達し、
9月2日には、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板で、
露国代表も参加して降伏文書の調印式が行われていたにも関わらず、
9月3日には歯舞群島にまでおよび、9月5日までに千島列島を占領しました。


最近は、どうか分からないが、拙者が子供の頃は、卒業式の時に歌った「蛍の光」
実際は、4番まで歌詞があるのだが、それを知らない人が多い気がする。
この露国による千島列島(北方領土)の不法占拠に対するためにも「蛍の光」は、
4番まで歌うべきではないでしょうか。

 

 

[蛍の光 オリジナル歌詞]         作詞 稲垣千頴
                     作曲 スコットランド民謡

1 蛍の光、窓の雪
  書読む月日、重ねつゝ
  何時しか年も、すぎの戸を
  開けてぞ今朝は、別れ行く

2 止まるも行くも、限りとて
  互に思ふ、千萬の
  心の端を、一言に
  幸くと許り、歌うなり

 

3 筑紫の極み、陸の奥
  海山遠く、隔つとも
  その眞心は、隔て無く
  一つに尽くせ、國の為

4 千島の奥も、沖繩も
  八洲の内の、護りなり
  至らん國に、勲しく
  努めよ我が背、恙無く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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