昭和20年(1945年)8月14日にポツダム宣言を受け入れ連合国と停戦(休戦)状態に
入った日本国ですが、北(樺太・千島)と南(沖縄)では、尚も戦闘が続いておりました。

一方的に「日ソ中立条約」を破棄した露国(ソ連)は、同年8月18日未明、
南下を開始、8月20日には、日本最北の不凍港がある「樺太真岡群真岡町」にも
艦砲射撃後に陸上部隊が侵略してきました。

この際に、真岡郵便電信局にて最後まで業務を続けていた女性電話交換手、
12名のうち、9人が青酸カリなどを用い自決いたしました。

後に言う「真岡郵便電信局事件」であります。

露国(ソ連)の侵略を受け、16日には、真岡郵便電信局長より緊急疎開命令が
出されているにもかかわらず全員が疎開せず局にとどまると血書嘆願、局長の
説得にも応ずることなく、20名の局員(交換手12名)が残ったとされています。


現在、稚内市にある稚内公園には、この事件の犠牲者九人を慰霊する為の碑、
「九人の乙女の像」が、立てられております。


 

当初、この慰霊碑の碑文には、軍の命令による自決と書かれておりましたが、
実際には軍命令は無く、生存者の証言等により、事実ではない事が分かり、
書き直されました。

また、昭和48年(1968)には、
昭和天皇、香淳皇后両陛下が御行啓有らせられ、その感銘を和歌に託されました。

御製「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる」
御歌「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる」



日本人は正しい歴史を学び、その上で先の大戦を
考えなければならないのでは、ないでしょうか。

 

 

 

 

 

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