近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城、
名古屋城に登城しております。

二之丸から見た復興天守の金鯱
盗難事件
江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がある。明治以降では4回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されている。
1871年(明治4年)3月 - 廃藩置県後、宮内庁への献上の際、鱗3枚盗難。犯人の陸軍名古屋分営番兵は銃殺刑。
1876年(明治9年)4月 - 東京博物館保管中に盗難。犯人は懲役10年。
1878年(明治11年) - 復元作業中に盗難。犯人は陸軍兵卒であるとされ軍の機密として処理されたため詳細不明。
1937年(昭和12年)1月6日 - 名古屋城下賜記念事業で実測調査中の1月6日朝、名古屋市建築局技師が雄の胴体の金鱗110枚のうち、58枚が盗難されている事に気付く。愛知県刑事課は報道を全面禁止し全国指名手配。下賜記念事業中だったため、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となった。同月27日、金鯱の売却現場で犯人が逮捕され懲役10年。

本丸の東側に位置する「東ニ之門」から本丸にあがります。

東ニ之門(二之丸側)

重要文化財 旧二之丸東二之門
本来は東鉄門という二之丸東の枡形外門で、現在の東門の東側にあった。昭和三十八年(一九六三)、二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、昭和四十七年に現在地(本丸東二之門跡)に移築された。平成二十二年から二十四年にかけ解体修理された。 -案内板より

東ニ之門(本丸側)

流石、天下普請の徳川の城。石垣に使われてる鏡石もデカい。



清正石
名古屋城の門は、櫓門 (二階建)と高麗門 (平屋建)を枡型に配置し、石垣には防備を誇示するために大きな石を組み入れた。
この石は加藤清正が運んできたといわれてきたが、この石塁は黒田長政の丁場であったので、「清正石」というのは単なる伝説であろう。 -案内板より

再建(復元)された本丸御殿
名古屋城本丸御殿とは
名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615) に建てられました。寛永11年(1634) には将軍のお成御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和20年(1945) の空襲で天守閣とともに全焼しました。名古屋市では、平成21年(2009)11月から本丸御殿の復元に着手し、平成25年5月には入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。 -案内板より

一部を除き外観復元された小天守(左側)と大天守

連結式天守閣
天守閣(5層5階地下1階付)は、南側の小天守(2層2階地下1階付)とそれぞれの地階を橋台で結ぶ連結式天守閣の形式となっています。
出入り口は厳重を極め、天守閣へは小天守を通らなくては入ることができません。天守閣、小天守とも入口は上部の石落しと総鉄張の扉を備えた門となっています。また、槍の穂先を並べた剣塀や隠狭間など、随所に敵の侵入を防ぐ備えがほどこされています。
当初の設計段階では、天守閣の西側にも小天守を設ける予定であったらしく、天守台西面の石垣上部に出入口を塞いだ跡が残っています。
天守閣のある本丸では、同時に隅櫓、多門櫓などの建築も行われ、天守と櫓で囲む堅固な構えを築きあげました。
また、本丸には武家書院造の代表的建築となる本丸御殿が天守閣や櫓に引き続いて建築され、慶長20年(1615年)初めに完成しています。本丸御殿内部は、狩野貞信、狩野甚之丞を始めとする幕府御用絵師の筆による障壁画群が室内を彩っていました。 -名古屋城公式Webより

ドン引きの外付けエレベーター


石垣の刻銘
石垣の築造は、庁場割に基づき加藤清正はじめ二十の諸大名に分担させたものである。
天守閣の石垣は、清正一手の築造であり、その四箇所の隅石には銘石を使用し、担当した家臣の名を刻んでいる。
なお、東北隅北面石には「加藤肥後守内小代下総」と刻名されている。 -案内板より

表二之門を通り抜け、本丸を後にしました。

表二之門(重要文化財)
古くは南二之門と呼ばれ、本丸追手枡型の外門に当たるので、門柱・冠木とも鉄板張りとし、用材は木割りが太く堅固に造られている。袖塀は土塀として数少ない遺構である。 -案内板より

有料区画の表門から出て、

二之丸大手ニ之門へ。


二之丸大手ニ之門
この門は二之丸西側にある枡形の外門となるもので、内門である大手一之門(現存せず)と共に古くは西鉄門といわれ、二ノ丸正門を形成していた。俗に枡形御門ともいい、一間一戸、屋根切妻造本瓦葺で、高麗門の形式をとる。
なお、二之丸東側には東鉄門と称されていた二之丸東二之門があったが、現在は本丸東二之門跡に移築されている。
共に国の重要文化財に指定されている。 -案内板より

日本100名城スタンプ
名古屋城(44)
つづく
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