~西へ~(417) 76日目② 愛知県護国神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


名古屋城の南、裁判所や警察署等が立ち並ぶ官庁街に鎮座しております
愛知縣護國神社に参拝しております。


境内には、多くの慰霊碑がございました。

    

白鴎遺族会「雲流るる果てに」 (左)
 碑文
はるかなる 雲流るる果てにねむる あまたの若きみ霊に捧ぐ


海軍パラオ会中部支部慰霊碑 (右)

     

戦艦大和記念碑 (左)
 主碑碑文
戦艦大和は日本が建造したせ界に誇る史上最大最強の戦艦であった。
第二次世界大戦中海上作戦の中枢として活躍していたが 昭和二十年に入り戦況急迫しついに連合軍が大挙して沖縄に進行して来たとき 海上特別攻撃隊旗艦となり巡洋艦矢矧及駆逐艦八隻とともに徳山沖を出撃して この敵艦隊に対し特攻不帰の悲壮なる突入作戦を決行した進撃の途上優勢なる敵機の連続猛攻を受け優先奮闘したが われには一機の護衛戦闘機もなく被害は累積して遂に沈没す
この時伊藤司令官 有賀艦長以下乗組員弐千七百有余名は艦と運命を共にした
時に昭和二十年四月七日沖縄の北四八〇粁 想うにこの世紀の巨艦を造り得た国民の気迫と祖国の危急存亡のときにのぞみ甘んじて死地に投じた崇高なる精神とは 永くわが民族の中に脈動するであろう
ここに大和主砲弾を安置して光栄ある海軍を記念するとともに 大和をはじめ幾多殉国の英霊に感謝の誠を捧げあわせて祖国日本の繁栄と世界平和を祈念する


独立輜重兵第五一大隊 やすらぎの碑 (右)

       

 画像 (左)
愛知県少飛会 陸軍少年飛行兵慰霊顕彰之(中央)
満州鞍山独立守備隊第二中隊 慰霊之碑(手前)

 画像 (右)
独立野砲兵第十一聯隊 独立野砲兵第二聯隊慰霊碑

      

 画像 (左)
慰霊 歩兵第二二八聯隊 同大隊(左手)
輜重兵第二十九聯隊 満州第三〇三部隊 慰霊碑(右手)

 画像 (右)
心の塔
 碑文
ビルマでの長い戦いの想いでの中で懐かしく心に浮かぶのは大小様々のパコダであり信仰篤い人々の温かさである
私達は其の善意への感謝を篭めてパコダに模した塔を建立し 遥かアラカンの密林に或いはビルマの山野に寂しく眠るすべての戦友の御霊を謹んで合祀したのである
至誠殉国の英霊の念いを忘れず 酸鼻を極めた戦争の体験者として 
又その遺族として斯かる過ちの繰り返されない様 大慈大悲の御仏の心に立ち帰らんことを只管に念じ 
茲に心の塔と名付け平和の一指標たらんとする所以のものである(画像奥)


満州開拓義勇軍之碑(画像手前)

  
戊辰の役の尾張藩出身英霊二十五柱  哀些忠勇戦死碑


      
       愛知縣護國神社 御朱印


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。




                              つづく






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