近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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11月も2週目に入った75日目。

少しづつ寒さにも慣れてきましたが…

道路脇の温度計は「12℃」 寒さが身に沁みます。


少し迷って「美濃國総社 南宮御旅神社」に到着。

境内には白鬚神社が遷座されているので、社号標も両社のが建ってます。


現在は、南宮大社の摂社であり、南宮大社の神輿は、
相川を禊ぎ川渡りしてこの宮に到る。このことから、
南宮大社の神輿のお旅所として南宮御旅神社と改称したといいます。

境内(向かって左・白鬚神社、右・南宮御旅神社)

手水舎と白鬚神社鳥居(奥が美濃国国府跡)

ご祭神は、
金山姫命(金山姫神。金山彦命姉神または御后神とされる)
豊玉姫命
埴山姫命 で、ございます。


南宮御旅神社由緒
祭神 金山姫命 南宮大神の御后神
相殿 豊玉姫命
埴山姫命 安産成育
沃土豊産 守護神
往古 諸國に國府を置かれた時 美濃國には要衝の地なるを以ってこの府中に定められた 着任した國司の美濃守は毎年正月元旦に國内の名社を次々と参拝した その順位から一宮二宮三宮の名も生じ國府には國中の諸神を招神して國の安泰を祈るを古例とした 当社の創建はこの國府の宮であった
國司の時代から守護の中世の代になると國府招神の古儀を承けて南宮神の神幸は華麗なる母衣花に飾られ神輿三基は 相川の清流に禊の川渡りを行い御幸道を走り込みに依って参向した 在庁の守護代諸役人を初め郷人等がこれを迎えて奉拝するを恒例とする内当社は次第に南宮神の御旅神社と仰がれるに至った
寛永十九年(一六四二)徳川家光公は春日局の諸願成就奉謝の願いを入れて南宮社と旧に復して再建した時 当社も深き神縁に依って造営の栄に浴した。以来将軍寄進の栄光を仰いでその 社構は堅く守られて現本殿に伝え残された
悠遠なる古代より神祭勤仕怠らず父祖相承けて守り来た中に近時広大なる境内を玉垣を巡らして囲み、両社本殿も更に瑞垣を以って齋い樹てるに至った これは正しく全氏子等の厚き崇敬の結晶であり永く後代に讃え伝えらるべき功業である 茲に謹みて改まる平成の御代の御大典斎行の年を迎えて心を新たにして益々祭祀を厳修し御神徳の弥栄を祈り奉る
例祭 四月五日 神幸祭 五月五日
白鬚神社由緒
祭神 猿田彦命 郷土安泰
河川水害 守護神
古来府中の守護神として字葉生に鎮座され遠隔の地なるを父祖相承けて祭儀厳修奉仕を續けて来たところ昭和三十九年三月開け行く時代の要請と社地環境保全の見地から氏子一同衆議一決しこれを御旅神社南側に遷座移建されるに至ったのは祭儀萬代の為の畏き御神慮と拝察される 然るところ昭和四十九年南宮大社の式年遷宮假殿の用材を寄進されるに及んで拝殿造立の運びとなり氏子一同 衷心協賛して本殿に相応しい社殿の完備を成し竣えた
以来両社相並んで鎮祭され御神徳益々顕揚されて今日に至る
例祭 四月五日
-石碑より


美濃国総社 南宮御旅神社
御朱印
つづく
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