~西へ~(254) 52日目③ 筑後国一宮 高良大社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


肥前國から筑後國に着ました。



本日、2社目の参拝は、筑後國一宮 高良大社です。



高良大社(こうらたいしゃ)は、福岡県久留米市の高良山に鎮座する神社で、
式内社(名神大社)です。旧社格は国幣大社、現在は神社本庁別表神社。

      

 高良大社
筑後一の宮。式内社名神大社。旧国幣大社。社地は高良山の西の山稜にあたり、「神龍石」の列石が周囲を囲んでいる。
 祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。覆中天皇元年(400)の創建と伝わる。延歴14年(897)に従五位下に叙されてから、事あるごとに神階を進め、弘じん年(818)名神に列し、寛平9年(897)には正一位を授けられた。
 山下の石造り大鳥居は、承応4年(1655)二代藩主有馬忠頼公の寄進。本殿・幣殿・拝殿は万字年(1660)三代藩主有馬頼利公の寄進で、社伝の紙本墨書平家物語(覚一本)と共に国の重要文化財。高良大社文書十巻一冊、絹本書著色高良大社縁起(画縁起)二幅は県指定文化財、社有地のほとんどは「史跡高良大社神龍石」として国の史跡指定を受けている。 -案内板より


    

苔むす社号額がイイ感じです。

      
              三の鳥居、「高良玉垂宮」の社号額

   

御由緒
 御祭神
左殿 八幡大神
正殿 高良玉垂命
右殿 住吉大神
 御神徳
延命長寿・開運厄除・家内安全・商売繁盛など生活万般
 御由緒
高良の大神は、悠久の昔から筑後川の流域に生活してきた人々が、その生活守護の大神様として奉持して参りました筑後国一の宮であります。御社殿御創建は履中天皇元年で西暦四〇〇年と伝えています。また、朝廷の御尊崇も篤く国幣大社に列せられ、古くは式内明神大社として勅使の御参向も始められました。江戸末期までは、神仏習合の思考のもと天台の僧徒多数奉仕し、山内に二十六 ヶ寺三百六十坊もあったということです。
 国指定重要文化財
建造物 御本殿・拝殿(権現造・万治三年・西暦一六六〇)
石造大鳥居(明神鳥居)
史跡 高良山神籠石
書跡 紙本墨書・平家物語(覚一本)
天然記念物 高良山モウソウキンメイチク林
 福岡県指定文化財
高良大社所蔵文書一件、絹本着色高良大社縁起他
天然記念物 境内大樟
                高良大社    -案内板より




社殿は、大修理中でした。

          
        神門前の狛犬(寛暦十三年(1763)七月吉祥日)


 神門の先に設けられた祭壇

     
    工事用覆いの隙間から拝した本殿



       

     
     八葉石碑残欠
「八葉石」とは高良山における神籠石の古名。この碑には高良山神籠石の由来と第五十世座主寂源僧正によるその発掘の経緯が詳しく記されていた。貞享二年(1685)六月禅僧法雲明洞(小倉広寿山福聚寺第二世)が撰した「高良山八葉石記」の全文を五十七世座主亮思僧正が大石に刻ませて建てたもの。神籠石発掘の祈念碑として日本考古学史上に重要な意義を持つ。もと参道入口、二の鳥居近くにあったが明治初年、神仏分離の際破却され碑石は社頭手水舎の大水盤に転用されている。
       高良大社   -案内板より



        
      筑後国一宮 高良大社
          御朱印



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                                 つづく







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