~西へ~(73)9日目⑨ 道明寺天満宮 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


本日6社目、道明寺天満宮に到着です。
 
道明寺天満宮
 菅原道真公ゆかりの神社で、古墳造営など土木技術に長じた土師氏の氏神と成立した。古くは土師神社と称し、菅原道真公・天穂日命・官公の叔母・覚寿尼を祭神としている。官公の遺品として銀層革帯(ベルト)や青白磁円硯など平安時代の美術工芸品が伝えられ、国宝指定されている。
広い境内には80種・800本の梅林があり、梅の名所として知られる。三ツ塚古墳周濠より出土した修羅の復元品がある。 -案内板より


     
土師窯跡(我が国の陶業発祥の地)
 昭和十七年十二月八日
 大阪陶磁器同業組合
 ふじい寺 石井 石留

 建碑の由来 (右)
日本書紀ニ拠レバ第十一代垂仁天皇ノ御宇菅公の祖野
見宿祢土偶ヲ以テ殉死ニ代ヘント進言シ大ニ嘉賞セラ
レ其ノ功ニヨリ土部職ニ任ジ因テ本姓ヲ改メ土部臣ト
謂ヒ鍛地ヲ賜フ土部郷即チ之ナリ江談抄ニ所謂土部氏
ノ本邑ニシテ土偶即チ埴輪ヲ作リシ窯跡ナレバ我国陶
業発祥ノ地トシテ由緒ノ所也時ニ大東亜戦一周年ニ際
会シ其建設事業モ着々進捗発展ヲ遂ゲントスルノ秋我
等組合有志相詢リ此碑ヲ建立シ以テ先人ノ遺跡ヲ永
後昆ニ垂レントスト云爾  組長 欅田藤郎誌


 由緒
垂仁天皇三十二年(西紀3)相撲の祖といわれる野見宿祢が、「埴輪」を創って殉死に代えた功績で、「土師《はじ》」の姓とこの辺り一帯を所領地として賜わって以来、遠祖天穂日命をお祀りしたのが土師神社の始まりです。その後、仏教が伝来し、推古天皇の2年、聖徳太子の発願により、土師八嶋が自宅を喜捨し土師寺が建てられました。輪を作り殉死に変えた。天皇その功を地を所領に賜り、土師神社と称し氏神とした。 -案内板より

         
        参道の狛犬(天保十三(1739))石工 大坂長堀 淡藤


「正一位太政大威徳天神」


 ご祭神は、
菅原道真公(学問の神様)
天穂日命あめのほひのみこと(天照大神の御子様)
覚寿尼かくじゅに公(道真公のおば様)     で、ございます。

       
      拝殿前の狛犬 元文三戊午年正月吉日(元文3年(1738))
               冶工・大坂住 大谷氏


 社殿(権現造り、檜皮葺き)

 
 能楽殿(文化十二年(1815)創建)


日本国家に詠まれている
 さざれ石
君が代は千代に八千代に
  さざれ石の巌となりて
    苔のむすまで
 君が代は、小石が大きな岩となり、そこに苔が生えるほど、永久に坐しませと、長い年月が目に映るように、めでたく詠まれています。
 この岩は、白亜紀後期(約七千万年前)の和泉層礫岩(れきがん)です。悠久の歳月の間に多くの小石が寄り集まってできたもので、河内長野市滝畑から平成の御大典記念として移しました。 -案内板より



 撫で牛
牛は天神様のお使いとして知られています。牛にまつわる伝説は全国に多く、当地でも白牛に助けられたことが伝えられています。
自分の悪い所を撫でると良くなると言われた撫で牛が戦前まで残っていましたが現在は台座のみとなっていました。
この度御祭神千百年大祭を記念し、ここに復興するものです。
     平成十四年正月  -案内板より

 

 


       
         道明寺天満宮 御朱印


御朱印を頂く際、こちらの社が管理されている「河内国総社」の
お話をお聞きしました。(総社の御朱印はないそうです)


 


                             つづく



=おまけ=


 駐車場に停まっていたので応援しようと思いましたが無人でした。

賛同される方は、ぜひこちらにて署名を
 美しい日本の憲法をつくる国民の会 https://kenpou1000.org/









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