神雷部隊慰霊と相模國一宮・総社(9) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


         [神雷部隊慰霊と相模國一宮・総社(8)のつづき]

相模國一宮 寒川神社の参拝に続き、相模國総社に参拝です。



相模國総社 六所神社(神奈川県中郡)



 

 由来と歴史
第十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ、この地を『柳田郷』と名付け、氏族の祖神たる櫛稲田姫命を守護神とし『柳田大神』と称しました、御創建は崇神天皇甲申の歳と伝えられております。

大化改新後、奉遷歴勅を以て相模国八郡神祇の中心たる、相模国の総社として現鎮座地に遷座いたしました。
その時より、柳田大神に、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮の分霊を合わせ祀り相模国総社六所神社と称されるようになりました。

鎌倉時代には、源頼朝公の崇敬誠に篤く、治承四年富士川の合戦の戦勝祈願を始め、奥方の北条政子の安産祈願等たくさんの記録があります。

戦国時代には、戦国大名の小田原北条家の崇敬も大変厚く、また、後に関東を支配した徳川家康も此に倣い、六所領五十石(相模国では2番目の大きさ)寄進の御朱印状をよせ、以後歴代の徳川将軍も同様に五十石を寄進し明治に至っております。

尚、現在の御本殿と社殿を支える石垣は、戦国大名北条家造営のものです。(西暦1500年代前半)
― 六所神社Webより


拝殿

 


相模國総社 六所神社 御朱印


    [神雷部隊慰霊と相模國一宮・総社] 終わり