中部・北陸・瀬戸内 編(225)屋島(源平古戦場)/手打うどん 源内 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

         [中部・北陸・瀬戸内 編(224)のつづき]

=第35日目⑮=

水城・高松城をあとにし、武士同士の戦い方を変えた
源平合戦・屋島の戦いがおこなわれた古戦場に向かいます。


讃岐国屋島(現高松市屋島)

 


 
平家物語の名場面「扇の的」に出てくる那須与一公が、鏑矢を放った
とされる場所




扇の的『平家物語絵巻』巻十一
やがて、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきた。『平家物語』によれば、平氏の猛攻に義経の身も危うくなるが、郎党の佐藤継信が義経の盾となり平氏随一の剛勇平教経に射られて討ち死にした。継信の墓は庵治半島側の牟礼町洲崎寺に、また激戦の中で継信弟の忠信に射られて討ち死にした平教経の童の菊王丸の墓は屋島東町檀ノ浦にある。 なお『吾妻鏡』によれば、教経は屋島の戦い以前に、一ノ谷の戦いで討ち死にしている。
夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦する。十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一を推薦した。与一はやむなくこれを引き受ける。
与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。しばらく春風に一もみ二もみされ、そしてさっと海に落ちた。『平家物語』の名場面、「扇の的」である。美しい夕日を後ろに、赤い日輪の扇は白波を浮きつ沈みつ漂い、沖の平氏は船端を叩いて感嘆し、陸の源氏は箙を叩いてどよめいた。
Wikipediaより

 
何故か2か所にある祈り岩


せっかく讃岐に来たので、「うどん」と思い、探すも時間のせいか?閉まって
いる店ばかり。そんな中、前を走る車2台が入った店につられるようにIN


手打うどん 源内

うどんも○だが、汁が良い味をだしていて旨かった。


かけうどん+おでん


お腹も膨れ、本日の宿泊地・道口PAへ

瀬戸中央道で本州に渡ったが、暗くなっていたので景色は見えず。
残念。


第35日目終了

本日の走行距離 264km