[脱特亜①~中国メディア工作の威力(前)~のつづき]

=一般市民には日本を知るための情報が手に入らない=

 A教授は「中国は今、日本は改憲するなら謝罪しろという立場を強めている」とも付け加えた。しかしその一方で、A教授は村山談話も河野談話も知らなかった。日本政府が行ってきた巨額のODAすら知らなかった。

 A教授は日中関係の専門家ではないので仕方がない面はある。だが、中国では一般市民の手の届くところに「日本を公正に理解するための資料」があまりに少なすぎるのだ。

 中国政府が、偏った日本情報を故意に国民の頭の中に植えつけていることは言うまでもない。その結果、一般市民の間ではいまだに「日本は軍国主義であり、中国の敵だ」という認識が根強い。これが正されるどころか、どんどん“加筆”されていくのが現状だ。

 そして最大の問題は、中国ではいまだに「情報は1つでしかあり得ない」という点である。「様々な角度からの解釈は許されない」のだ。ネットなどでも、目立つのはやはり「偏見」である。たとえ知日派学者がいても、日本を正しく伝えようとする情報発信は非常に限られている。

 余談になるが、中国のテレビ局では、日本人の専門家を引っ張り出して「日本批判、日本政府批判」をさせることがよくある。A教授が見たのは、あまりに過激に日本を批判をする日本人専門家だったようで、「こうした人たちは日本に帰国して無事でいられるのか」と心配していた。中国人がメディアで政権を批判すれば、間違いなく“反逆罪”となるだろう。

=なかなか現れない自由な思考の持ち主=

 さて、このA教授は後日、こんな報告をくれた。

 映画「男たちの大和/YAMATO」(佐藤純彌監督)を「ダウンロードして見てみた」というのだ。この作品は太平洋戦争末期の沖縄への水上特攻を扱った映画で、水兵や下士官の視点で戦争を描いているのが特徴だ。また、当時の市民生活や世相も描写されている。A教授は「涙なしには見られなかった」と話し、また「学校で教わった日本の軍国主義とは異なるものだった」とも語った。大きな発見だったようだ。

 筆者は、この地に住む人々との対話はいつも難しいと感じている。その固定観念を変えるのは容易ではない。逆に、そうした固定観念に縛られたまま一生を送る一般市民を気の毒だとも思っている。一部の外資系勤務者や海外業務従事者を除き、「上からの発信を受け入れること」に慣れてしまった人々の思考はすっかり硬直化してしまっている。

 金持ちこそ現れても、“自由な思考の持ち主”はなかなか現れない。国境を越えればそこには異なる国の人々が異なる価値観で生活していることなど、想像しようともしないのだ。ましてや日本や日本人については、「過去の歴史」という角度からしか見ようとしない。

 ある時期、中国で流行した映画に日本人男性の登場人物がいた。その日本人男性はいつも妻に「メシ、メシ」と迫り、亭主関白ぶりを誇張する人物設定になっていた。おそらく昭和時代の作品なのだろうが、中国の多くの一般庶民は、日本人男性はそういうものだと思い込んでしまっている。

 なぜこれほど近くの国なのに日本情報がこんなに少ないのか。果たして中国に日本や日本人を正しく知ってもらう有効な手立てはあるのだろうか。いまのところ、答えは見つからない。[JB PRESS]


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情報規制されていない日本国内においても、自ら情報を拒絶し、
変な固定観念に支配されている人は沢山居ますが・・・


シナと朝鮮について 福澤諭吉先生 いわく、
『過去に拘泥し、国際紛争でも「悪いのはそっち」と開き直って恥じない。
この二国に国際常識を期待してはならない。国際の法やマナーを踏みにじって
恥じぬ二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸。
(国交は別として)気持ちにおいては断交する。』