今から72年前の本日、昭和17年(1942年)4月18日は、当時対戦中であった
米国から日本本土に対する初めての空襲を受けた日であります。
ルーズベルト大統領承認、ジミー・ドーリットル中佐が現場の指揮をとり
行われた為「ドーリットル空襲」とも言われてます。
この攻撃により、死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸以上の
被害が出たとされております。
死亡者の中には、学校を爆撃した事による4年生2名や機銃掃射による
国民学校高等科生徒、海上に居た漁船の漁師などがおります。
明らかに非戦闘員に対する故意による攻撃がありました。
正に、国際法違反の非人道的行為です。
真珠湾攻撃開戦以来、大日本帝國海軍は、潜水艦による米国西海岸沿岸での
輸送船などに対する攻撃、米国本土の石油製油所への砲撃を行っておりましたが、
あくまで軍事関連が対象であり、国際法厳守の姿勢を崩しておりませんでした。
しかし、米国は戦時国際法無視の攻撃。
そして、その後も繰り返し法を犯し、全国に対し無差別爆撃を行いました。
その最たるモノは、2度も行った「原子爆弾」の投下であります。

B-25を搭載した空母「ホーネット」
この日に出撃したB-25爆撃機16機(うち1機は迎撃により離脱)は、
東京府東京市(当時)、神奈川県川崎市・横須賀市、兵庫県神戸市、
愛知県名古屋市、三重県四日市市を爆撃しました。
迎撃出来た数が少ないのは、「空母2隻を含む機動部隊発見」という通報を
受けた帝國海軍が、攻撃は航続距離の短い艦載機(艦爆)によるものと判断、
米軍機の発進、空襲は19日早朝と推測した事や連絡を受けた帝國陸軍が、
警戒警報をした際、「陸上爆撃機は高高度襲来」という通達を出したため、
航空機が、高高度で哨戒行動を行ったり、低空で飛ぶB-25を発見しても敵機で
あるとの判断が遅れた為ではないか。と言われております。
尚、米機動部隊を発見の第一報を送った、特設監視艇「第二十三日東丸」は、米軍
軽巡「ナッシュビル」の砲撃で撃沈され、乗員14名全員は艇と運命を共にしました。
この時、米艦が使用した砲弾は915発、30分以上を必要としたとされております。
大日本帝國海軍は、この本土初空襲に対抗し、直ちに米国本土に対する攻撃を
活発化します。
同年6月21日には、潜水艦で、米国オレゴン州アストリアにあるスティーブンス
海軍基地を砲撃し、基地の施設に被害を与え、兵士を負傷させ、その後9月9日と
同月29日には、潜水艦の艦載機が米国西海岸のオレゴン州を2度に渡り空襲に
成功しております。
(現在に至るまで米国本土に対する唯一の外国軍機による空襲です)
米国政府及び軍は国民への精神的ダメージを配慮し、
この事実を公表しておりません。
日本人は正しい歴史を学び、その上で先の大戦を
考えなければならないのでは、ないでしょうか。