[憲法改正⑥~竹田恒泰の憲法改正講義 上(3)~のつづき]


敗戦後、我らの祖国・日本は、現行憲法(米国押しつけ憲法・敗戦憲法)により、
また、その解釈により、実際には自衛すら出来ない「見せかけの主権国家だ」
「国の体をなしていない」という事を多くの人は理解しなければなりません。
憲法は「国民のモノ」であります。このままで良いのか。国民一人ひとりが、
よく考え、どの様にするか。声を上げていかなくてはならないのでは・・・

竹田氏の現行憲法(米国押しつけ憲法・敗戦憲法)についての論、後半です。
*前半は http://ameblo.jp/umibouzu2010/entry-11811421592.html

--------------------------------------------------------------

憲法学者・竹田恒泰の憲法改正講義(下)
「象徴天皇や愛国心にまで踏み込んではいけない
改憲ありきではなく、守るべきものを議論せよ」
(http://diamond.jp/articles/-/51027)

戦後ずっと封じ込められてきた「愛国心」の呪縛は、ようやく解け始めた。愛国心の復活と共に盛り上がりを見せているのが、憲法改正論議だ。しかし、自民党政権で国民的な議論が不十分なまま改憲が取り沙汰されるなど、その行方には不安も漂う。「愛国心」という観点から憲法の意義を唱える気鋭の憲法学者、竹田恒泰氏が憲法改正の論点を鋭く語る。今回は、日本人の愛国心の象徴である「天皇」の在り方などについて、竹田氏に詳しく聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)

[賛成派と反対派を入れ替え自由な議論を教育現場での憲法論議はスポーツと一緒]

――前回は、政府が進めようとしている96条の先行改正や、集団的自衛権の解釈改憲について、その課題や論点を詳しく聞きました。確かに、国民への説明や国を挙げての議論が不十分なまま、改憲論が独り歩きしている観があることには課題を感じます。まずは、国が国民に憲法改正の意義を教えることが必要ですね。憲法教育の在り方については、どうお考えですか。

高校の社会科の教科書などを見ても、やはり現実的な憲法教育はあまり行われていないように思います。憲法の原則ばかりでなく、憲法と国民生活とのつながりについて、もっと力を入れて教えるべきでしょう。

 繰り返しますが、憲法改正は日本の未来を考えることでもある。これまで「触ってはいけない」という前提だった憲法を、今後変えることを前提として捉えると、教育者の教え方も変わって来るかもしれません。ようやく世の中が憲法改正を唱えられる雰囲気になってきた今、自分の頭で憲法を考えられる若者を増やしていくべきです。

――憲法教育を変えるには、具体的にどうすればいいのでしょうか。

 たとえば、憲法を議論するときに、教室で生徒が「賛成派」と「反対派」に分かれ、ディベートを行うカリキュラムなどを採り入れることです。本来ディベートとは、自分の意見を言う場所ではなく、言葉のスポーツと一緒。

どの生徒が賛成派になるか、反対派になるのかは、議論の前に機械的に振り分ければいいし、途中交代もさせればいい。そうすると、子どもは双方の主張をきちんと消化し、本当に自分の言葉で議論ができるようになる。こうしたやり方は、効果的だと思いますよ。

[実はずっと昔から天皇は象徴だった 現行憲法の1~8条は理想的な内容]

――これまで、憲法改正論議の焦点とされるポイントについて詳しく聞いてきましたが、その論議の盛り上がりと共に一部で改めてクローズアップされてきたのが、「天皇」という存在です。自民党の改正案にも「天皇を元首とする」という条文が示されていますが、天皇をどう捉えるかは、国民の愛国心の在り方に非常に大きな影響を与えるでしょう。憲法における天皇の在り方を、どう捉えるべきでしょうか。

 日本国憲法における天皇の位置付けは、実は日本人自身がよくわかっていない気がします。

 終戦時に日本人がGHQ(占領軍最高司令部)と張り合った末、明け渡したのは戦争の放棄や軍備の不保持という部分。一方、意地で守り切った部分は天皇の存在です。具体的には、現行憲法の1条~8条に当たります。ここを丹念に読み込むと、実は天皇の法的権限は、戦前の大日本帝国憲法とあまり変わらないことがわかります。

 日本国憲法では天皇は日本の「象徴」(シンボル)とされていますが、実は平安時代も江戸時代も、ずっと昔から天皇は象徴でした。また、明治時代以降の欽定憲法には象徴とは書かれていなかったものの、だからと言って象徴ではなかったとは言えない。

 象徴とは、国民が天皇の姿を通じて、その先に日本の形を見ていることを表わします。それが国民に見えていれば象徴天皇は機能しているし、見えていなければ機能していないということになります。

だから、終戦時に考えられた象徴という言葉は、日本人にとって意外にしっくり来る言葉でした。怪我の功名とも言えます。現行憲法の1条~8条は天皇の本質をより感覚的に表現し直しており、日本にふさわしい条文になっていると私は思います。

 つまり、国民と天皇との関係、天皇の在り方などは、基本的には戦前と戦後で変わっていない。様変わりしたのは、国民の権限が強まり、天皇の重臣たちの法的権限がはぎ取られたことです。見方にもよりますが、私は日本人が最後に守ろうとした皇統の維持、国体の護持は、終戦時にきちんと実現されたと解釈しています。

                               つづく