[憲法改正⑤~竹田恒泰の憲法改正講義(2)~のつづき]
[集団的自衛権を認めなければ 日米間の主従関係が温存される]
――今、日本を取り巻くリスクは拡大し続けています。集団的自衛権の行使を条文に明文化することで、日本にとってどんなメリットがありますか。
ご存じの通り集団的自衛権は、日本が直接攻撃をされていなくても同盟国が攻撃されたときなどに、敵に対して共に戦わなくてはいけないというもの。
今後日本が国際貢献をしていくなかで、集団的自衛権を無視できない事例の1つとして、自衛隊のイラク派遣時のケースが挙げられます。当時、現地で血みどろになった他国の兵士が道に横たわっているのに、自衛隊はそれを助けていいのかどうかの議論をしなくてはいけなかった。兵士が戦闘行為によって倒れているのであれば、彼らを助けた瞬間、解釈で違憲とされている集団的自衛権の行使に当たるからです。
その議論のさ中に他国の兵士が通りかかり、「何をしているんだ」と驚いて、すぐにその兵士を助けたそうです。集団的自衛権を持っているのに行使できないなんて、外国の軍隊から見たら意味がわからない。果たしてこれは、正しい状況なのでしょうか。
ソマリアの海賊問題、アルジェリアの人質事件、ボストンの爆破テロ事件など、見えない敵との戦いに自衛隊が協力する重要性は、今後ますます高まってきます。こんなことをしていたら、日本は国際的な信頼を失ってしまう。
また、集団的自衛権を認めないと、日米間の「主従関係」も温存されてしまう。日米安保条約で米国に助けてもらう一方、米国に何かあったときに日本が助けられないという片務的な同盟を続けていれば、「日本は米国に従属している国」と思われても仕方がありません。お互いを助け合える状況になったときに、日本は初めて米国と対等のパートナーになれるのです。
だからと言って、必要以上に懸念する必要はありません。米国が参加する全ての戦争に日本がかり出されるわけではないし、逆に米国だって、日本が参加するどんな戦争にも付いてくるわけではないでしょう。いくら日本の行為が正当でも、自国の国益に叶わなければ、米国が軍を動かすわけがないのだから。
[日本は武力の放棄によって プライドまで傷つけられた]
――「米国への従属関係」という話に関わりますが、憲法改正論議には「終戦時のポツダム宣言受諾によって、日本がプライドを奪われてしまった」と感じる人たちの気持ちが深く関わっていそうですね。特に9条の改正論議は、その象徴のように感じます。憲法改正は、日本人が自信を取り戻すきっかけになるでしょうか。
武力の放棄は、終戦時に日本人が最も牙を抜かれてしまった部分。日本は攻撃力を失うだけでなく、プライドまでも傷つけられてしまったのです。結果的に、その後公布された日本国憲法の9条は、敗戦の象徴のようになりました。
[法はあくまでも「道具」に過ぎない 型落ちしたらバージョンアップせよ]
しかし当時、中国や北朝鮮などの周辺諸国の脅威は視野に入っていませんでした。戦後68年経った今でも、そのままでいいものでしょうか。むしろそれを押し付けた米国自身が、「まだそんな古い条文を守っているのか」「早く集団的自衛権を認めてくれ」とやきもきしている状態です。
それを考えると、やはり法は社会の後追いをすべき存在。社会情勢が大きく変化したら、それに合わせて法も変えていくのが普通です。現行憲法の条文を神聖視して国民が不幸せになるなら、本末転倒でしょう。
法はあくまでも「道具」であり、型番が古くなったらバージョンアップしたり、余分な機能を取り外せばいい。道具に振り回されてはいけません。だからこそ、9条を変えることによって、日本は初めて戦後レジームから脱却できる。それによって、日本人は自信を取り戻せるでしょう。9条改正は、そのきっかけになると思います。
後半につづく