比国において、第一陣、第二陣と「特別攻撃(航空機による体当たり攻撃)」の
出撃の命令が順次下る中、大日本帝國海軍 第一航空艦隊長官 大西中将の面前で
「特攻」を拒否したが男がおりました。
「美濃部 正」大尉(少佐)であります。
「第二次・神風(しんぷう)特別攻撃隊」をすでに送り出した
昭和19年(1844年)11月、比国ダバオ基地に進出していた美濃部大尉にも
大西長官からの呼び出しが掛かります。
「パラオ、バベルダオブ島北方のコッソル水道にある米海軍基地を叩けないか」
と大西中将は切り出します。
この水道は、米海軍の補給、修理基地として利用されており、また、飛行艇の
基地にもなっており、比国との距離も約1000kmと近い重要拠点であります。
この時、すでに夜間攻撃で実績を上げていた美濃部少佐は、
「夜間、戦闘機で飛び立ち、夜明けに叩きます」と答えると、大西長官は、
「確実か?」と作戦成功の是非を問います。
「私が飛びます。しかし無事に帰れる保障はありません」と答えます。
優秀な指揮官(飛行隊長)を失いたくない大西長官は、
「無事に帰れる保障がないなら、君ではなく部下に特別攻撃をさせよ」
と本筋に入ります。
「私以外に遂行できる者はおりません。どうしても他の者に行かせろと
おっしゃるなら、無駄死にです。彼等を無駄に殺すようなものです」
「また、それなら特攻でいいだろうという考えには承服しかねます。
どんな場合でも「十死零生」の作戦は、作戦にあらず」
「どうしてもこの作戦をやれとおっしゃるなら、私の思うとおりにやらせて
頂きたい。私は部下の使い方を知っております」
と言い、美濃部少佐は、夜間戦闘機隊指揮官として比国に配属されてからの
作戦・戦術の詳細、部下の技量や現状の戦況の分析などを淡々と話し始めました。
そして、取るべき作戦を具申致します。その話は夜中まで続いたとも伝わります。
大西長官は、このように面と向かって言った美濃部少佐を認め、
夜間戦闘機作戦を了承いたします。
その後、
12月1日、再び呼び出され、内地(藤枝海軍航空基地/現静浜基地)に戻り、
海軍夜間戦闘機隊の戦闘901飛行隊、戦闘812飛行隊及び戦闘80
4飛行隊を再編し夜間攻撃部隊を編成する様、命じられます。
この再編された部隊が、第131航空隊、通称「芙蓉部隊」であります。
しかし、再び美濃部少佐の部隊に「特攻」の命が下ります。
1945年2月、「芙蓉部隊」の所属している第3航空艦隊司令部は、
千葉県の木更津にて、(教育隊)飛行隊長を中心とした約80人の会議が開き、
来るべく沖縄戦に対しての「特攻」の命令がを出します。
夜襲攻撃部隊として訓練を続けていた「芙蓉部隊」にも上層部は何も考えずに
「練習機も含め全機特攻機せよ」と言います。
それに対し、最下級の美濃部少佐は論理的に根拠を並べ、具申(反論)いたします。
会議でのやり取りです。
航空参謀
「次期沖縄作戦には、教育部隊を閉鎖して練習機を含め全員特攻編成とします。
訓練に使用しうる燃料は一人あて月15時間しかないのです」
美濃部
「フィリピンでは敵は300機の直衛戦闘機を配備しました。こんども同じでしょう。
劣速の練習機まで駆り出しても、十重二十重のグラマンの防御陣を突破する
ことは不可能です。特攻のかけ声ばかりでは勝てるとは思えません」
航空参謀
「必死尽忠の士が空をおおって進撃するとき、何者がこれをさえぎるか!
第一線の少壮士官がなにを言うか!」
美濃部
「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。
ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。
しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。
精神力一点ばりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。
同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい。」
航空参謀
「それなら、君に具体的な策があるというのか!?」
美濃部
「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、みずから突入する人がいません。
必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、
敵の弾幕をどれだけくぐったというのです?
失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局にあなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか?」
「飛行機の不足を特攻戦法の理由の一つにあげておられるが、
先の機動部隊来襲のおり、分散擬装を怠って列線に並べたまま、いたずらに
焼かれた部隊が多いではないですか。また、燃料不足で訓練が思うにまかせず、
搭乗員の練度低下を理由の一つにしておいでだが、指導上の創意工夫が、
足りないのではないですか。
私のところでは、飛行時間200時間の零戦操縦員も、
みな夜間洋上進撃が、可能です。
全員が死を覚悟で教育し、教育されれば、敵戦闘機群のなかに、あえなく落と
されるようなことなく、敵に肉薄し死出の旅路を飾れます」
「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタの
ごとく落とされます。
2000機の練習機を特攻に駆り出す前に、赤トンボ(九三式中間練習機)まで
出して成算があるというのなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って
攻撃してみるといいでしょう。
私が零戦一機で全部、撃ち落としてみせます!」
(大正っ子の太平洋戦記/美濃部正著)
この様に美濃部少佐は、未熟な者による特攻攻撃よりも、夜間銃爆撃の有効性を
強硬に主張し、芙蓉部隊の特攻編成からの除外を司令部に承認させました。
(つづく)
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。