宮沢 隆仁(http://miyazawa-takahito.o.oo7.jp/)
日本維新の会
元埼玉脳神経外科病院医師・当選1回
医学博士


10月31日衆議院 安全保障委員会 質疑・00:23:38~約18分


質疑内容(要点まとめ)
1)在外公館職員の行動規範
2)邦人保護に関しての他国との強調体制
3)邦人輸送派遣の際の安全基準について
4)邦人救出派遣について

-私見-
あまり議題に上がる事のない、在外公館職員の安全管理行動規範や1985年の
「イラン/イラク戦争時における邦人救出」を例に出し、他国に依存している
海外在住邦人の救出問題を指摘している。日本国民に「トルコ政府に日本人を
救出してもらった事実*」を知らしめる事にも役立ったのではないか。
また、駐在武官(防衛駐在官)の数不足を指摘している事は大変良いと思う。
現在の自衛隊法の問題点を数々指摘している。
質疑時間の関係で、突っ込んだ質疑にはなっていないのが残念である。

この自衛隊法改正法案だが、再三、大臣等が「本年のアルジェリア事件を受け」
と答弁しているが、遅きに失した感があります。
危機管理は、起こりうる問題を想定し先に手を打つ事が重要なのではないか。

*イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の
輸送機によって順次イランから脱出していった。ところが、日本においては
そうではなかった。ただちに日本航空にチャーター便の派遣を依頼したのだが、
日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が
保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶した。その間、在イラン日本
大使館では手を尽くして救援機を派遣した各国と交渉したものの、いずれの国も
自国民救出に手一杯であり、希望者全てを乗せてもらうことは到底かなわず、
いまだ200名を超えるイラン在留邦人が全く脱出方法が見つからずに生命の危機に
瀕する状況にあった。
なお当時の自衛隊法は、自衛隊の外国における活動を人道目的を含めて想定して
おらず(事実上、自衛隊の海外での活動は禁止されていた)
また、イランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されていなかったため、
自衛隊を派遣するのは事実上不可能だった。
だが、土壇場で個人的な親交に一縷の望みを託した野村豊在イラン全権大使が、
「イスメット・ビルセル」在イラントルコ特命全権大使に救援を要請したところ、
トルコ政府が応じ、トルコ航空の自国民救援のための最終便を2機に増やして
くれたので、215名の日本人がそれに分乗してイランを脱出した。
タイムリミットの1時間15分前だった。
なお、トルコ機は近隣に位置することから陸路での脱出もできる自国民に
優先して日本人の救出を計ってくれ、実際この救援機に乗れなかったトルコ人
約500名は陸路自動車でイランを脱出した。このようなトルコ政府と
トルコ航空の厚情の背景には、1890年(明治23年)日本に親善訪問した帰途、
和歌山沖で遭難したフリゲートエルトゥールル号救助に際し日本から受けた恩義に
報いるという意識もあったと言われている。[wikipedia]


続く赤嶺政賢委員(日本共産党)の質疑(1:00:38~)は論外。
常識の範囲で考える事の出来ない「何でも反対」の良い例。

本当に答弁したら大問題になるかもしれないが、
在外邦人を助ける事は「必要か?必要でないか?」の一言でOK。




政治の水準は国民の水準と同じである。