[【タイ好き?】定期イベントですかぁ②のつづき]
再燃が懸念される「タイ王国の政治問題」ですが、事は複雑で分かりにくいので、
表面的に「タクシン派VS反タクシン派」として簡単に経緯を振り返ってみます。
2001年
貧困層や地方の農民を優遇した政策を掲げ、大きな支持を得て選挙で圧勝し
政権の座に就いた「タクシン・チナワット(タイ愛国党*)」ですが、自身の
権益拡大の為に既得権益(王家・軍・官僚・司法など)から権益を奪う政策を
積極的に実施します。そして、反対勢力となりうる軍や警察の最高ポストに
親族等を配置し、強引にマスコミ関係も統制するなど激しいものでした。
アジア通貨危機で頓挫していた首都国際空港建設再開の時もタクシン一族に
お金が流れるようにしたと言われております。
当然、前の既得権益側は、政権(権益)奪還の動きに出ます。
*「タイ愛国党」と誰が訳したか知らないが、日本ではそう言われている。
タイ語を訳すと「タイを愛するタイ人の党」となる。
こうして、「タクシン派=反独裁民主統一戦線(UDD)通称:赤シャツ(赤服)」と
「反タクシン派の団体=民主市民連合(PAD)通称:黄シャツ(黄服)」の対立が
始まります。
政権発足後数年は、経済も上り調子で良かったのですが、その強引なやり方で、
多くの反感、不平不満が出てきます。そして、
2006年
1月
就任当時から汚職の疑いが数々もたれていたタクシン首相の親族による株式の
不正取得疑惑が発覚し、国民(特に前利権者)の不満が増大。
タクシン首相は退陣を匂わせ、事態の収拾を図るが、好転が見込まれず、
2月に解散、4月に総選挙を行なう。しかし、野党側のボイコットにより、
開票してみると白票が相次ぎ、有効票が規定以下になり、無効選挙となります。
これを受け、タクシン首相は辞任を表明し、副首相が代行する事になるが、
実際には、タクシン(前)首相が職務を行っていた。
8月
陸軍幹部による首相暗殺未遂事件。
軍部内の分裂が明確化。
9月18日
「軍上層部3名と警察幹部1名を首謀者とした軍事クーデター」
首相(タクシン・チナワット)外遊中に政府庁舎を包囲、占拠。
「国王の承認」の上とされており、無血クーデターとなりました。
暫定軍事政権樹立される。
2007年
5月
タイ愛国党(タクシンの党)に前回選挙時の違反を理由に解党の判決が出る。
12月
暫定憲法下での選挙を行なうと、旧タイ愛国党(タクシン派)の多くが移った
「人民の力党」が勝利。「タクシンの代理人」ことサマック氏が連立政権を樹立。
2008年
9月
サマック首相の辞任を求め、首相府を占拠していた政治団体の
「民主市民連合(PAD)黄」とサマック政権を支持する政治団体、
「反独裁民主戦線(UDD)赤」が衝突し、死者1名、負傷者40名以上の
事件が起きる。
9月2日
首都バンコクに非常事態宣言発令。
9月9日
そんな中、裁判所は、現首相サマック氏にテレビに出て報酬を貰った事は、
「首相の副業禁止条項」に抵触するとして有罪判決を出す。
これにより、サマック首相は、辞職。
副首相兼教育相のソムチャイ氏が、首相代理(臨時)に就任。
*ソムチャイ氏の奥さんは、タクシンの妹。
10月
首相在任中に当時の妻(罪が自身に及ぶ事のない様に偽装離婚したと言う噂)が
国有地を不正に競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受ける。
11月中旬~
クーデター後より海外に出国(亡命)していたタクシン氏が、帰国する噂(?)で、
反政府運動「民主市民連合(PAD)」が、スワンナプーム国際空港及び主要空港を
占拠、封鎖し、ソムチャイ首相代理に辞任の要求。
これにより、9日間に渡り国際線航空機の発着が出来なくなる。
12月2日
またもや、裁判所は、2007年選挙時に組織ぐるみの選挙違反があったとして、
国民の力党(連立与党・タクシン派)に解党命令を下す。
ソムチャイ首相代理を含む党幹部の公民権を5年間停止する。
これを受けて、空港封鎖は終了。
公民権停止を逃れた議員は「タイ貢献党」に移籍。
そして、タクシン派から寝返った勢力と民主党の会合が持たれ、両者による
新政権・反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
これに対し、タクシン派は、アピシット退陣と選挙実施を求めて、約3万人の
反政府デモを王宮前広場で開催。
一部が国会を包囲し、首相の施政方針演説を妨害。
2009年
「タクシン派=反独裁民主統一戦線(UDD)通称:赤シャツ(赤服)」と
「反タクシン派の団体=民主市民連合(PAD)通称:黄シャツ(黄服)」の対立に
拍車がかかり、攻撃側になったUDD(赤シャツ)は、抗議活動を激化させます。
首都バンコク・首相府を2万人規模のデモ隊で包囲。その後も数千人規模で
継続します。中には、空き地や首相府の緑地に野菜などの作物を植える人も。
4月11日
「ASEAN+3」「東アジアサミット」の会場に乱入し、会議は中止に。
同時に内務省や他の省庁、またテレビ局などにも乱入します。
バンコクなど6都県に非常事態宣言発令。
このころから散発的に裁判所や政府機関に対しての爆弾(手榴弾)に
よる事件が起きます。
13日
首都・バンコク都内数ヶ所でデモ参加者の強制排除を開始。
首相府を包囲しているデモ参加者に対しての強制排除の態勢を整え、解散を勧告。
反独裁民主統一戦線(UDD・赤シャツ)の幹部は、これに応じ、デモ中止を呼びかけ、
デモ隊は解散します。
これを受け4月11日出されていた非常事態宣言も解除されます。
(つづく)