[日本人の敵は日本国内に居る(6)~所謂、従軍慰安婦とは①~のつづき]


捏造された慰安婦問題拡散のきっかけの1つが朝日新聞大誤報
(http://www.news-postseven.com/archives/20120815_136784.html)

ここでは誰が慰安婦問題のきっかけの1つとなった朝日新聞の大誤報について
解説する。
 * * *
慰安婦性奴隷説は1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』
(三一書房刊)という本を出して誕生する。
吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、
レイプしたという「体験」を語ったのだ。

 だが、『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった、吉田は嘘を
ついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。

この吉田の証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報をして、
第1次慰安婦騒ぎが始まる。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」
という大見出しを付けた記事は

〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、
日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人が
ソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が
聞き取り作業を始めた〉というリードが付けられていた。

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いている点が吉田証言に
乗っかった悪意を持つ誤報だった。
なぜなら、名乗りを上げた元慰安婦、金学順さんは「『女子挺身隊』の名で
戦場に連行され」てはいないからだ。

彼女は貧しさのため母親に40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦を指す)
として売られたと訴状などで明言しているのだ。
今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正していない。

1992年1月に訪韓した宮沢首相は盧泰愚大統領に8回謝った。
私は同年2月、外務省北東アジア課の幹部に、首相は権力による強制連行を認め
謝罪したのか、貧困による人身売買の被害に対して謝罪したのかと質問したところ、
これから調べるという驚くべき回答を得た。
以上のような内容を私は同年4月号の月刊『文藝春秋』に書いた。

私の論稿が出た直後、現代史学者の秦郁彦先生が吉田証言について
現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見して吉田証言も
嘘であることを暴いた。
金学順さん以外の名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の
安秉直先生が学術的な調査を行ない、権力による連行は証明できないという
結論を出した。

日本政府は1992年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、
女子挺身隊制度と慰安婦は全く別物であり、慰安婦を権力によって連行したことを
示す文書は1つも出てこなかった。

以上のように、第1次論争で実は事実関係については決着がついていた。
[NEWSポストセブン]



$どちて坊やの隠居記~徒然なる日々~

「従軍慰安婦=性奴隷」説を世界中に広めたのは日本人弁護士
(http://www.news-postseven.com/archives/20120825_137311.html)

ここでは捏造された慰安婦問題を世界中に拡散させた日本人弁護士の
ロビー活動について解説する。
 * * *
2006年に安倍晋三内閣が発足するや、米議会が慰安婦は性奴隷であり日本政府は
公式謝罪と補償をせよという決議を通そうとした。

安倍首相が国会で国内での論争の成果に立って、権力による慰安婦連行は
証明されていないと答弁したことに対して、米国メディアが激しく非難し、
日米関係がおかしくなりかかるということが起きた。

その背景には反日日本人らが慰安婦性奴隷説を国連に持ち込み、
国際的に嘘を拡散させていたということがあった。

日本人の戸塚悦朗弁護士こそが「慰安婦=性奴隷」という国際謀略の発案者だった。
戸塚は自分のその発案について次のように自慢げに書いている
(『戦争と性』第25号2006年5月)。

〈筆者は、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と
「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発(IED)」の代表として初めて提起し、
日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した〉

〈それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、
これをどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。
結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した〉

この規定が国際社会での反日謀略のスタートだった。
日本人が国連まで行って、事実に反する自国誹謗を続けるのだから、
多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易だった。

彼の国連ロビー活動は、1992年から1995年の4年間で海外渡航18回、
うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。

戸塚弁護士らの異常な活動の結果、1996年に彼の性奴隷説が国連公式文書に
採用された。[NEWSポストセブン]
                                 (つづく)