[日清戦争④~朝鮮半島北西岸・豊島沖海戦~つづき]


英国船籍の商船を撃沈された英国内では、日本に対して反感が沸き起こります。

当時の日本国は「陸奥宗光」の凄腕外交にて、幕末時に締結させられた、
不平等条約を撤廃させて、「日英通商航海条約」を結んだところであります。

今後の事を考えますと英国を敵に回すのは得策ではありません。


当時も現在も国家間の紛争は「国際法」に乗っ取って処理するのが、一番良い
解決方法です。
(なぜゆゑ、敗戦後の日本は、この「国際法に乗っ取る」という原則を忘れて
しまっているのでしょうか)

この騒動に、英国の国際法学者が、立ち上がります。
「トーマス・アースキン・ホランド」と「ジョン・ウェストレーキ」の二人です。

この国際法学者たちは、別個にタイムズ紙に寄稿して国際法を説明し、日本側に
違法行為はないことを主張しました。
論拠は、

*高陞号を沈没したのは戦争が開始されたあとである。
*戦争は、あらかじめ宣言せず始めても、少しも違法ではない。
 これは慣習であり、英米の法廷で幾度も審理され確定している。
*高陞号の船員は、戦争が起こったことを知らなかったに違いないが、
 日本の士官が船に乗り込んできた時、これを知ったとみなさざるをえないし、
 気づくべきであった。
*英国旗をかかげていたか否かは重要ではない。戦争が始まったのであれば
 交戦国の艦艇は公海上ならあらゆる船を臨検し交戦国の船、第三国の船でも
 相手国向けの戦時禁制品が積んであればこれを没収、あるいは破壊・処分し、
 必要なら撃沈するというのは艦長に認められる権利だからである。
*日本兵が乗船しても捕獲することは不可能と認められるので、日本の軍艦「浪速」
 の艦長が、いかなる処置を講じようとも、それは艦長の職権である。
*沈没後に救助された船員は規則通り自由になることができたので、この点でも
 国際法に背馳していない。

それゆえ日本政府が英国に謝罪する義務は生じない。


さすが、国際法を熟知していた「東郷閣下(当時艦長)」であります。
すべてが合法な範囲で行動していたと証明され、紳士の国・英国の世論は、
沈静化していきました。
(嘘を繰り返し言って、真実にしようとする様な燐国とは違いますな)

逆に、清国が「天津条約」を背馳し、清国兵及び大砲を輸送しており、日本の
最後通牒を無視して朝鮮領海内を偽装して航行、大兵を集中させつつあった事を
全世界に暴露してしまった。
そのため他国は、清国が「侵略者」であるという様に考えるようになりました。


こうして、7日後の明治27年(1894年)8月1日、日本国と清国は互いに
「宣戦布告」を行い、慣例だけではなく国際法上でも戦争状態に入りました。

約8ヶ月におよぶ「日清戦争」の始まりです。


この事実のどこが、日本国の朝鮮(現在は韓国・北朝鮮)への侵略なのでしょうか。