[明治の侍たち①~高く掲げた信号旗~]のつづき



東郷平八郎閣下は、誠に偉大である。
この様な偉人の事を今の日本、親や教師は教えているのであろうか。



日本海海戦で、2倍強の戦力を持つ露艦隊を打ち破った大日本帝国海軍であるが、
東郷閣下は、指揮能力・統率能力も秀でており、

常に最前線で陣頭指揮を行い、
己が戦死した時の指揮系統継承の為に
幕僚を最も安全な司令塔に移動させるなど、繊細な指揮をとった。

また、参謀の上申を重用し、最善の判断をするよう常に心掛けていたという。


その後の東郷閣下であるが、やはり素晴らしい。

明治38年(1905年)12月20日に連合艦隊は、戦時編成を解き、
翌日の解散式にて、東郷閣下は解散の辞を述べた。

=原文=

二十閲月の征戦已に往時と過ぎ、我が連合艦隊は今や其の隊務を結了して
茲に解散する事となれり。
然れども我等海軍軍人の責務は決して之が為めに
軽減せるものにあらず。
此の戦役の収果を永遠に全くし、尚益々国運の隆昌を扶持せんには、
時の平戦を問はず、先づ外衝に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、
一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。
(中略)
昔者神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我が統理の下にありしも、
一たび海軍の廃頽するや忽ち之を失ひ、
又近世に入り徳川幕府治平に狃れて兵備を懈れば、挙国米艦数隻の応対に苦み、
露艦亦千島樺太を覦覬するも之と抗争すること能はざるに至れり。
翻て之を西史に見るに、十九世紀の初めに当り、ナイル及トラファルガー等に
勝ちたる英国海軍は、祖国を泰山の安きに置きたるのみならず、
爾来後進相襲で能く其の武力を保有し、世運の進歩に後れざりしかば、
今に至る迄永く其の国利を擁護し、国権を伸張するを得たり。
(中略)
神明は唯平素の鍛練に力め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、
一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ。

古人曰く勝て兜の緒を締めよと。

=現代語訳=

二十数ヶ月にわたった戦いも早や過去のこととなり、わが連合艦隊は今やその任務を
果して、ここに解散することとなった。
しかし艦隊は解散しても、わが海軍軍人の務めや責任が、軽減するということは、
決してない。
この戦役で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには、
平時戦時の区別なく、まずもって外の守りに対し、重要な役目を持つ海軍が、
常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、
その危急に対応できる構えが必要である。
(中略)
むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間、わが支配の下にあった
けれども、一たび海軍がすたれると、たちまちこれを失い、
また近世に至っては、徳川幕府が太平になれ、兵備をおこたると、数隻の米艦の
扱いにも苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらっても立ち向う事が出来ず。
目を転じて西洋史を見ると、十九世紀の初期ナイル及びトラファルガー等に
勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない案泰なものとしたばかりでなく、
それ以後、後進が相次いで、よくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから、
今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができた。
(中略)
神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、
勝利の栄冠を授けると共に、
一勝に満足し太平に安閑としている者からは、
ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。

昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよ」とある。
                       (「解散の辞」引用元・website Z旗より)



今の日本に、必要な言葉ではないか。