さるまたとズロース | うみぼうずのブログ

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今日は、91歳のおじいちゃんちへ往診。


いつもは喋らないのに、今日はズゥッと喋ってた。


昭和初期の九段・三宅坂の馬車や荷車を押して5厘いただく仕事をする人をたちんぼと言ったのだそうだ。


当時は5厘で大福二つ買えたそうだ。


「貧しかったなぁ」……とつぶやいた。


路面電車も朝一番は割引料金だってんで、皆窓にしがみついたりして乗ってたよ。


貧しかったから朝一番に乗る時帰りの切符も買ってね。


今でもよく覚えてるんだけど、


ある男の人が車掌にね、


「車掌さん、俺は訳あってどうしても行かなきゃなんないが、金がないんだ!でもどうしても…」って言ったら、


「お前はそこで立っていろ!」って車掌の隣に立たせて乗せて行ったんだよ、


今じゃ考えられないよね。


それから、皆弁当持ちだよ、


ご飯にかつぶしかけて梅干しだけとか、のりだけとか…


ちょっとご馳走だとシャケなんか入っててね。


どっかの大手の会社で社内に食堂ができた時は大騒ぎしたな…


でも、昔の方が食べ物は美味かった気がするなって。


煮豆や煮物なんかもそこの家で手作りのものだったから。


芝居なんかは今みたいに高級な感じじゃなかったよ。


庶民の楽しみ。町ごとに町の名前の芝居小屋があってね。


テレビなんかないから、握り飯持って一日中みてたな…


寄席だってそうだ。


活動もあったけど僕はあまり見なかった。


貧しかったな……
戦争が始まったら、町の工場が活気づいてね、働き口が出てきて良かったんだ、初めのうちはね……


でも、戦争で何もかもなくなったなぁ…


ふんどし一つだって大変だった。


そういえば、兵隊は皆ふんどしだった、いつからさるまたになったろうな…?


女性のズロースは、あれは確か昭和7年頃日本橋の白木屋デパートが火事になって、


上に逃げた女性が腰巻き以外つけてないから、


恥じらいで飛び降りれないとかロープを片手で持って支えきれなくて落ちて死んだんだ。


それ以来、女性はズロースをはくようになったんだ。


そういえば、日本橋から富士山も見えたっけな…


ん……zzz


って、寝ても~た。




でもなんだか心があったかい感じがしたひと時だった。