人々の暮らしと海:時代と共に移り変わる

人々は、便利、安全を求めて進んできた。

瀬戸内海は、時代と共に変わってきた。

――海は、人の暮らしと密接につながっている。まるでブーメランのように、自ら投げたものが自らに返ってきている――

 

人々が自然と共に暮らしていたころの山

木材を燃料として利用していた時代山林は貴重な資源だった)

家庭の燃料は、柴。(おじいさんが山へ柴刈りに出かけた時代)

建物は、木造。

築城に使う石を運搬するために、大掛かりな伐採が行われたことも。

製塩やたたら製鉄でも、燃料に木材(薪)が使われていた。

六甲山地は、一時はげ山になっていた。(江戸~明治時代)

⇒はげ山は、土砂災害を頻発

 明治から昭和にかけて、植林しながら薪を利用

 

森と海のつながり:森から海へ栄養塩が注がれる

森の営みが海を豊かに:人が森に入り、森の営みが行われる。

森の木々には光が降り注ぎ、光合成によって、葉に栄養が蓄えられる。

冬になると、落葉広葉樹の葉が地面に落ちる。

人々が森に入り木を伐り、森の地面には光が届き、下草が生え、そこに落葉が積み重なる。

森の落葉は、地表の落ち葉の中に生息する微生物によって分解され栄養塩となり、水の流れによって海に供給される。

――間伐などの手入れがなされず、森林が荒廃していると事情が違う。手入れされない森林は光が届かない暗い森となり、下草が生育せず、地表の落枝や落葉が分解される前に、腐葉土層とともに流れ出てしまう―― 

 

人と森の縁が薄れていく:

人が入り利用される里山では、間伐が行われ、落ち葉の栄養が森から海へと流れる自然の営みが維持される。

燃料に化石燃料が使われるようになり、薪が使われなくなり、人と森の縁が遠のく。⇒ 里山が減少し、森から海へ流れる栄養塩が減少してきた。

 

田畑と海:水田とため池から海へ栄養塩が流れていく

農耕生活:集落では、水田が広がっていた。水が生活の近くにあった。

ため池が多くつくられた。(日本独特の田園風景)

水は海へ流された。⇒ 海へ栄養分が注がれた。

日本は米食の文化が続いていた。

 

欧米の文化が広まり、日本人の食文化が変化。⇒ 米の消費が減っていく

水田が減少、農業者が高齢化、ため池の利用が減少 ⇒ 海へ流される栄養塩が減少

田畑の肥料:かつて、人糞など有機肥料が使用されていた。

次第に化学肥料・農薬が使われるようになり、池や海に流されるようになった。池や川で泳いでいたのは、過去の話となった。

 

家庭や工場の排水と海:

家庭から、溝・川を経て、排水が直接海へ流されていた。

⇒ 川、海が濁った(汚れた)。栄養塩が海に豊富に流されていた。

高度経済成長期】(1950年代~)

瀬戸内海沿岸に工場が立ち並ぶ。工場の排水が川~海に流され、海を汚染した。栄養塩以外の化学物質も海に流され、海は汚染された。

工業の発達に伴い、都会に人が増え、多量の生活排水が海に注がれた。

高度経済成長期に、海の汚染が酷くなり、海が黒ずみ、赤潮が頻発。

工場排気ガスにより空気が汚れ、光化学スモッグが頻発。

⇒環境汚染問題が深刻化!

 

下水道、下水処理場が整備され、家庭の排水は川~海へ流されず、下水処理場で浄化されるようになった。⇒ 川も海もきれいになってきた。海に流れる栄養塩が大きく減った。

 

排水・排気ガス基準が法で定められ、工場の排水も排ガスもが浄化されきれいになってきた。⇒ 海も空気も徐々にきれいになってきた

 

そして、「魚が獲れなくなってきた」と気づき始めた。(1990年代)

魚介類にとって、食べ物が減り、空腹な生活が余儀なくされるようになってきた。【瀬戸内海、貧栄養の時代】に入った。

例えば、小魚を食べる肉食系のクロダイ(チヌ)が今、養殖ノリを突っつく。

 

漂着物による汚染【プラスティック汚染

海に流される有機物は、海の中で分解され、海に溶け込む。

しかし、工業化が進み化学製品が増えてきて、人がポイ捨てたペットボトル・プラスティック製ゴミ袋などが海に流され、海を汚染し始めた。

これらのプラスティック類が、潮の流れによって海岸に漂着する汚染も深刻に。

瀬戸内海各地の海岸には、潮流により漂着するプラスティックゴミが後を絶たない。中でも、大阪湾の入り口で潮の通り道となる、友ヶ島は、常に汚染に晒されている。

砕かれたプラスティックが、魚の体内に残る、あるいは漁の網に混入する。

 

重油などが垂れ流され、海が汚染する事態も生じている。

 

土木工事で瀬戸内海も川も大変身【魚が棲む環境破壊】

――土木工事技術が進化し、海も川も、生き物が棲み難い場所に変えられていった!

 

●土木工事のために、海の砂利が採取された、そこに魚や海藻が生息していたのに!

 

●波の被害を食い止めるために、海岸が護岸工事により強固に固められた。⇒ 砂浜、干潟が減少し、藻場が消えていった。魚や貝類が棲み子孫を増やす<ゆりかご、海のレストラン>が激減

瀬戸内海からアサリが消えかけており、天然の潮干狩り風景は遠のく!

 

●大雨災害が頻発。川の氾濫が人々の生命を危険に晒した。川に多くの砂防ダム・堰が設けられ、川岸が強固に固められた(護岸工事)。⇒ 川から海へ流れる土砂も栄養塩も減少

川と海を行き来する、サケ、ウナギ、アユなどの生きる環境が護られているのか?

 

水生生物が棲みやすい、海の居住環境が破壊されていった。

複合的・総合的に考える知恵を働かせることができなかったのか、と悔やまれる。

 

 

「人は、住む場所と食べ物が必要」なように、「海の生息する魚介類や藻類は、栄養塩と生息する環境(干潟や藻場など)が必要」なのです。

 

瀬戸内海では、栄養塩が減少し、砂場、干潟や藻場など、海の環境が破壊されてきた。それには、人の暮らしの変化が大きくかかわっていること、その経緯を大雑把に整理してみた。

長い年月と技術や経済の変化によって生み出されてきた。

最早、私たちの暮らしを元に戻すことはできない。

 

では、私たちは、これからどのように「海の環境、水生生物、漁業」と向き合えばいいか、一つずつ考えていきたい。