私の8歳の誕生日に
父が子犬を譲ってもらってきた

私と弟は大喜びしたが
母は酷く困った顔をしていた

最初から母は犬を飼うことに反対していた
生きものは死んでしまうから
という理由だった

生きものは死んでしまうって言っても
私達だって生きものじゃないか
父は笑いながら子犬を抱きかかえた

ごめんなさい
お母さん

父の言う通り
私達だって生きもの

悲しいかな
いずれ
死んでしまうんだ

私も…

そしてあなたも…




朝、目が覚めると
まだ感触が残っていた

子供の頃飼っていた小型犬
シーズーとポメラニアンのMIX
「茶々」

昨夜
寝ている私の布団の中に潜りこんできた


亡くなっているはずの
茶々

あり得ない…
そんな馬鹿なことが…

いや
不思議とそうは思わなかった…

ごく自然に
何度も何度も
茶々の背中を
なでて可愛いがった

懐かしい
愛おしい

何年ぶりだろう
身体を寄り添い
茶々と私は
そのまま寝むりについた


「お姉ちゃん」

「お姉ちゃん」

「えっ」

「お姉ちゃんどうしたの?」

「さっきからおはようって何度も言ってるのに」

「朝からボーっとして」

「また何かあったの?」

「あっ…」

「いや」

「ごめんね」

「考えごとしてて」

「こんなこと言うとさぁ」

「また変なやつだってなると思うんだけど…」

「ならないよ」

「ならない?」

「うん」

「慣れてるからならない」

「ならない」

「うん」

「ならない」

「わかった」

「信じる」

「実は昨日の夜」

「昨日の夜?」

「茶々が…」

「茶々?!」

「茶々って茶々のこと?」

「そう茶々」

「昔、飼っていた犬のこと?」

「うん」

「そう」

「私の布団の中に潜りこんできたの

「お姉ちゃん…」

弟は悲しい顔をしている

「わかってるよ」

「わかってる」

「茶々が亡くなっているってのは…」

「だから多分、夢なんだと思う」

弟はさらに悲しい顔をした

「お姉ちゃん…」

「違うよ…」

「そうじゃない」

「そうじゃないよ」

弟は私のお腹の辺りを指指した

「お姉ちゃん見て…」

「見てよ」

「え?!」

見ると私のパジャマの
お腹辺りに犬の毛のようなものが
びっしりくっついていた

「怖い…」

「お姉ちゃん…僕、怖い」

「怖いよ…」

「怖い…」

私は急いでパジャマを
はたいて毛を床に落とした

「大丈夫よ」

「例えその事が本当だとしても」

「茶々は私達の味方だよ」

「悪い事じゃない」

「悪い事じゃない」

弟の目が泳ぎだす

「僕もお姉ちゃんみたくなっちゃう…」

「僕もお姉ちゃんみたくなっちゃう…」

「僕もお姉ちゃんみたくなっちゃう…」

「僕もお姉ちゃんみたくなっちゃう…」

弟の身体は小刻みに震えているのがわかる

「大丈夫よ」

「大丈夫よ」

私は弟の両肩をおさえた
震えが伝わってくる

「やめてよ」

「触らないで」

「大丈夫よ」

「大丈夫」

「ヒロくんはお姉ちゃんみたくならないから」

「絶対ならないから」

「落ち着いて」

「だ…だって」

「僕も…」

「幽霊が見えるんだ」

「え!?」

「ヒロくん、それ本当なの」

「うん」

「いつから?」

「最近」

「最初のうちは気配だけだったんだけど…」

「今は、はっきり見えるんだ」

「ヒロくん」

「教えて」

「その幽霊のこと…」

「詳しく話してみて」

「男のひと?女のひと?」

「女のひと…」

「お姉ちゃんと同じくらいの女子高生」

「制服着てるんだ」

「それが可笑しいだよ」

「顔が見えないんだ」

「顔の所に靄がかかってて誰だかわかんないんだよ」

あいつだ間違いない

「いい、ヒロくん」

「その幽霊にちかずいたら駄目」

「危ないから」

「物凄く悪い幽霊なのよ」

「ちかずくなって言っても」

「いつもいきなり現れるし」

「僕に話しかけてくるんだよ」

「なんて?」

「お姉ちゃんの悪口ばっかり」

「お前のお姉ちゃんは頭がおかしいって」

「幽霊が見えるなんてどうかしてるって」

「幽霊はいない」

「幽霊が見えるなんておかしいって言うんだよ」

「幽霊がだよ」

「変でしょ」

「変なんだ」

「僕、頭がおかしくなりそう」

「お母さんだって頭おかしくなってるし」

「お姉ちゃんだって…」

「大丈夫」

「大丈夫よ」

「大丈夫なもんか」

「全然大丈夫じゃない」

「お姉ちゃん病院連れていって」

「早く」

「僕、病院行きたい」

「ヒロくん…」

「病院じゃ治らないんだよ」

「これは病院じゃ治らない」

「嘘

「嘘だよ」

「みんな嘘」

「僕もお姉ちゃんみたくお薬飲まないと」

「何言ってるの?」

「私、薬なんか飲んでないよ」

「飲んでるよ」

「飲んでるじゃない毎日」

「飲んでるよ」 

「飲んでないよ」

「朝夕2錠づつ」

「毎日飲んでるよ」

「知ってるから」

「ヒロくん聞いて…」

「本当に飲んでないの」

「お姉ちゃん飲んでないから」

「ヒロくんには嘘はつかないから」

台所の方から水道を出した音が聞こえる…

「茶々…茶々…」

「おいで」

「おいで」

お母さんの声だ
弟と私は顔を見合わせる

「お母さんどうしたの」

「どうしもしないけど」

「茶々にご飯あげようと思ったんだけど」

「いないのよ」

「さっきまでいたんだけど…」

「どこ行ったのかしら」

弟は目で合図している

「多分どこかに隠れてるんだね」

「そのうち出てくるよ」

「だよねお姉ちゃん」

「あ…」

「う…うん」

「まだ寝てるのかもしんないね」

万引き事件以来自室にこもりっきりだった母

「お母さん体調大丈夫?」

「え?」

「なんで?」

「お母さんは大丈夫よ」

「それよりお前達学校遅れるわよ」

「早く支度しなさい」

「お母さん朝食作っとくから」

母は朝食の支度を始めた

弟は顔を洗いに行き

私は自分の部屋に戻って
制服に着替えたることにした

部屋に入った瞬間
茶々の懐かしい匂いがした

優しい茶々
怖がりの茶々

それは一瞬だったが間違いなく茶々の匂いで
茶々がうちに戻ってきてくれたんだと確信した

それと同時にこうも思った

おそらく茶々は私達家族を心配して
戻ってきたんじゃないだろうか

家族を守るため
もしかしたら
戦うつもりで

いや駄目だ
そんなのは駄目

ちっちゃな茶々が
怖がりな茶々が

勝てるはずがない
勝てるはずがない

お願い茶々
姿を見せて

そんなことはやめて
そんなことは…

お願いだから 
お願いだから

痛い思いをさせたくないから
辛い思いをさせたくないから

ごめんね
ごめんね
ごめんね
ごめんね

心配かけてごめんね
心配かけて…


…つづく