2018年12月14日、白蛇に書けと言われてこのブログを書き始めました。
毒親、虚弱体質、友だちとの数々の離別、35歳になる2019年まで不幸体験をする設定で生きてきました。
2016年、遮光器土偶に導かれて行った亀ヶ岡遺跡で不思議体験をし、そこで季節の祭事を行ってた縄文から続く一族の末裔だと言われました。
2022年1月、不幸体質の原因が巫病だとわかりました。
このブログではそんな人生の苦労から学んだ気づきや、スピリチュアルなおもしろい話、どうでもいいほのぼのマンガなど、“うみちゃん”の発信したいことを書き綴ってます
夢は世界中を旅して過去世で残してきた自分のルーツを探すこと、この地球でリアルゲームをすることです!
最近いろいろと思惑が確信に変わりつつあって
その中の一つの話なんだけど
私縄文時代に集落の巫女をやっててね、
みんなを守ってたんだよ。
日照りが続けば雨乞いをし、
雨が続けば晴れをお願いし、
病気になればそれを治し、
天の声を聞いては人々に伝え、
人々の話を聞いては天に投げ、
そういう天と地の橋渡し役をやってたんだよね。
その代わりみんなには衣食住の世話をしてもらってたんだよ。
ある意味何不自由ない暮らしをしていた。
ところがそれがレムリアの終焉とともに終わったんだ。
レムリアが海に沈んだ時に
私はみんなを連れて高台に逃げた。
いきなり来たみたいだからね、
全員は助けられなかったんだと思う。
すべてが海に飲まれて終わった頃、
私は助けた人たちに責められたんだ
なんで海に沈むことを予知できなかったんだ?って。
それからたぶん色々責められたんだと思う
もっと早く分かればみんな助けられたのに!とか
自分だけ助かってしまった…とか
大事なものがすべて流されてしまった、とか
失ったものに対する悲しみと
生き残った後に一から生活を建てなおさないと行けない苦労
その鬱憤がすべて私一人に向けられたんだよね。
こいつさえきちんと役目を果たしていれば
自分たちはこんな苦労することなんてなかったんだって。
私はね、
わからなかった。
なんでみんながこんなに自分を攻めるのか。
だって海に沈んだのは私のせいじゃないもの
私は自分のできることを精一杯やった
命があるだけマシじゃないの!?って思ってた
みんなをただ守りたかっただけなのに。
でも私が助けた人たちは
私を守ってはくれなかった。
今生を生きていろんなことがわかった。
人はね、
守りすぎると弱くなるんだ
だめんず・うぉ~か~っていうの昔流行ったけど
あれって実はダメンズメーカーなんだよね
世話し過ぎることでダメな男を作ってしまってるんだよ
私も同じことをしてた
みんなを守りすぎてたんだ
だってみんなすぐ死んじゃうんだもん
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くわしくはこれ読んでねー、有料相談もあるよー
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亀ヶ岡遺跡や私の前世についての話