今日も先生の授業を受ける為、せっせと身支度をしました。
どんなに就活があろうが、先生の授業は必ず出るんです。
それは、この授業自体はは小説概論というつまらんそうな授業なんですが、人生について考える時間というスタンスで聞いているので、どうにも欠かせない授業なんですね。人生に迷う22歳にとっちゃ。w
で、今日やった事が小説を動かすプロットについて。
話すと長くなるんですが、要は物語には結末に向かう大きな矢印が流れているのですが、その中でプロットというものは、そのお話どんな話なの?ってきかれたら○○(主語)が、~~する話ってこたえるでしょ?(メインクレームですね。)?その~~に向かうプロセスのことをいうのだそうです。
で、その物語を終わりに引っ張る大きなプロットは、話の中にある小さなプロットの連続で成り立っているのだそうです。で、その物語が物語りたるには、普遍性が必要だと先生はいってました。物語、小説として残る為には普遍性が必要だといいます。
例えば「スピーチ大会」という小説があったとしましょう。
この作者、実行委員長かな?がこの物語を通じて伝えたいことつまり大きなプロットは、「人は一人では何もできない」ということだとします。大きなプロットを動かしていく為に作者は小さなプロットを動かしていく事になります。日々の業務を遂行することはもちろん、小さなプロットが物語は張り巡らされています。
例えばスピーカーはスピーチを書くために死に物狂いになるというプロット。
もう、それだけで物語になるくらい。
来場してくださる方にもプロットになるでしょう。
落選したけど、行ってみようとか葛藤のある人もいるかもしれない。
スピーチが何か分からないのにとりあえず娘の晴れ姿をみにくる親御さんもあるでしょう。
またその一方で大会を作る課程でも、メイクドラマは起きているわけで。
スピーチでの消化不良を糧に大会の裏方を一挙に引き受け奔走する人もいれば、就職活動をしながらできるだけ最小限のエネルギーで関わりたいと思うメンバーもいる。
そんな一人一人の物語の連続、プロっトの連続ですね。それが幾重にも重なって大会という場所でフィナーレを迎えるんです。フィナーレ、物語ですから、どんな大会だったと一人ひとりが述語化できるようになる必要があるんです。
述語化を助ける上で欠かせないもの、それがクロージングアドレスだと私はおもっています。
クロージングがメッセージを発せられ、その物語は完結し、「スピーチ大会」は普遍性のある小説として世に残るのです。人の心に大会が刻まれ、次につながるという形で。
ま、更におおきなプロットで考えれば、この1つの大会がたとえば100年続くとします。そうなれば、この第○回の大会も一つのプロットのつながりに過ぎないんでしょうね。
うー。デカイね。
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と、まあそんなことを考えていたのですが。
結局何をいいたいかといえば、人生を小説にたとえるならば、人生にも大きなプロットがあって、それをなす為に小さなプロットを重ねていくんだなって思ったんです。最期のそのときというフィナーレに向かって。
そのフィナーレを迎えるとき、<働きマン>の松方弘子の言葉を借りれば、「ああーー仕事したなー」っていって死にたい。と私は思うんです。
仕事したなああああって思って死にたい。
の割には人生に手抜きが多いというのも事実です。苦笑
これからの人生、私はどんな生き方をしていこうか迷っているのですが。
少なくとも仕事したなあああああって思えるような選択をしたいです。