主に小学校不登校、現在大学4年生の
息子のことを書いています
7歳の時に広汎性発達障害+ADHDと
診断されています
簡単ですが→自己紹介

昨日書いた中学生の時の恩師の

 

言葉ですが 息子から先生に

 

「言葉をください」

 

とお願いして 書いてもらったと

 

聞きました。


私は中学校が小規模だったので

 

全生徒に先生が言葉を送っているのかと

 

思っていました。よく見ると

 

「先生からの宿題」ではなく


「私からの宿題」となっているので 


先生としてではなく

 

一個人として言葉を書いてくださった


のだと今頃気づきました。

 

 

中学校から再登校した息子ですが

 

小学校の勉強を一切していなくて

 

九九も言えない状態から どのように

 

学んだのか、ですが

 

再登校先の中学校で

 

個別授業を何度かしてもらいました。

 

教頭先生(英語)や校長先生(数学)

 

が個人授業をしてくれた時もあり、

 

息子に聞いた話では教科書は使わない

 

授業だったそうです。

 

中学校へ入学する前の春休みも

 

個人授業をしていただきました。

 

殆ど遊びのような授業だったそうですが

 

それが 返ってよかったのかも

 

しれないです。

 

そして沢山褒めていただきました。

 

その後 勉強をすることが苦では

 

なくなっていきました。その代わり

 

勉強をするのは学校内だけでした。

 

 

記憶力は小さなころからよかったですが

 

九九が今も言えません。


そして最も苦戦したのは漢字を覚えること

 

だったと言います。



個別授業のおかげで教えることにも


興味を持ち、クラスメイトに教える


事も経験させて頂きました。


クラスの中で「教える」という自分の


役割ができたことは


学校生活を送る上で息子にとっては


重要な事だったと思います。


私は 少人数制にこだわって


再登校先を探しました。先生の目が


行き届く方が良いと思ったからです。


ですが、先生の目が苦手で、


登校できない生徒もいました。


息子にとっては良い環境でも


それが全てではないと言う事。


もちろん良い事ばかりではなくて


色々な事があった3年間でしたが


全て息子にとって学びとなっています。



読んで頂きましてありがとうございます。