主に小学校不登校、現在大学4年生の
息子のことを書いています
7歳の時に広汎性発達障害+ADHDと
診断されています
高低差45
簡単ですが→自己紹介

子供は思いっきり泣きます。

 

私は泣くことは「恥ずかしい事」

 

「我慢が足りない」と

 

教育されてきたので

 

息子が顔を真っ赤にして全身で

 

泣く姿を見て、戸惑ったことも

 

ありました。


「虫封じ?」をした方がいいと


言われたこともありました。。


徐々に落ち着いてくるだろうと


思っていましたが、癇癪はなかなか


治りませんでした。。ほぼ1人で


育児をしていたこともあり、


私も疲れ果て 幼稚園入園前の


半年間認可保育園へ通わせました。。


私は仕事をすることでバランスをとって


いました。



小学校1年生で息子が不登校になり


息子と真剣に向き合う日々が始まります。


その前も私なりに 息子と向き合って


いたのですが、当時は不登校は家庭、


主に母親の責任と言われたこともあり


最初は今までの育児の全てを反省し、


自分を責めました。



フリースクールへ通い始め、不登校の


子達が沢山いることを知りました。


フリースクールでは育児の改善点を


助言されるわけでもなく


「そのままでいい」と言われた時は


心からホッとしました。


フリースクールへ通い始めてからは


心に余裕ができました。


それはフリースクールでは


「出来なければならない」が


なかったからです。


息子の場合は


出来ないことが沢山あったので


救われました。


ゆっくりと息子のペースで。


苦手を克服することよりも、


得意なことを伸ばす。


コミュニケーションを学ぶ、自分の考え


で行動すること等を学びました。



息子が不登校でなかったとしたら


とりあえずみんなが出来ることは


出来ないといけない。と私が思い、


息子を追い詰めていたかもです。



追い詰めてしまう前に不登校に


なったことは結果的に息子にとって


よかったことでした。


現在本人もそう言っています。


読んで頂きましてありがとうございます。