主に小学校不登校、現在大学4年生の
息子のことを書いています
7歳の時に広汎性発達障害+ADHDと
診断されています
高低差45
簡単ですが→自己紹介

 

昨日書いた元不登校当事者で現在
 
社会人の方が仰っていることの続き。
 

彼の場合は幼稚園の頃から
 
集団生活に違和感があったそうです。
 
その後小学校へ入学し渋々登校していた
 
3ヶ月が1番しんどかったと言います。
 
あれ以上登校していたら壊れていたかも
 
しれないと。。

 
私は黙って見守ることが合っている

お子さんとサポートが必要なお子さんの

二通りがあると思っています。
 
そして彼も仰っているように学校へ通え

なくなった場合、不登校後の
 
生き方が大切と思います。
 
学校へ通わないことが問題なのでは
 
なく、通える場所がなくても子が

無気力でなければ、その後

必ず一歩を踏み出せると思っています。
 

反対に不登校から子供自身が殻に

籠ってしまう、

その期間が長くなれば長くなるほど

抜け出すことは大変で、
 
その場合は家族はもちろん外部の助けも
 
必要だと感じます。
 

彼は義務教育期間は学校へ通わず、

その後バイトをしながら定時制高校へ

通い、高校3年生で起業しています。

その彼が「不登校は甘くない」と

言う言葉には重みがあります。


彼の生き方も一つの例です。

息子が不登校当時、彼のような

人生もあるという事を知りたかったですが

彼も今だから言えるのかもしれません。



読んで頂きましてありがとうございます。