とある特定のクライアントさまへのメッセージになります。
該当しない方々にも過去記事で恐縮ですが、
各々シチュエーションは違えども、当てはまる箇所や部分はおおいにあるでしょう。
以下は当時の過去記事より↓
今年はヒーリングルーム緑翆の飛躍の年でありましたが、それが加速したのは今年の5月から。
今年の2月にステップアップする直前に色々と腹の立つような、邪魔をされているような事象が起きた。
これね。ありがちな事象です。
ステップアップ直前に、まるで度胸や腹の据わり加減を試されているようなことやものごとが起きる。
自分自身の発展を塞き止めていた最奥の想い(所謂ブロックというヤツ)が具現化して目の前に現れるのですね。
それはどんな人生を歩んでいようと、決して私だけに限らないと思いますので、こちらでちらっとお伝えしとこうかなと。
災い転じて福となす的なものも内包している話なのですが。
なにかが変わるとき、それは引っ越しやら結婚離婚やら出産やら生別死別、退職転職就職やらの節目にも往々にしてありがちでありますが。
思い起こせばああ…そういえば…ってことあったんじゃないでしょうか。
まるで度胸や本気度を試されているかのような。
それともうひとつ。
クライアント様に所謂「もらっちゃいがち」な方々もおられますので。
何を「もらっちゃいがち」なのかというと、所謂邪気ね。
※
怯えている人には、怯えていたぶりやすい人を探している人が寄ってきます。
罪の意識がある人には誰かを責めたい人が寄ってきます。
イヤな感じの需要と供給。
他者からの邪気をもろに受けてしまっているのは、結局、それを「許してしまっている自分」がいるからです。
目に見える領域の出来事にしろ、目には見えない領域の出来事にしろ、相手の無法(邪気)をいいだけ許してしまっている自分にも責任はあるということです。
それを許してしまっている自分…
例えをひとつ。
例えが私で恐縮ですが。
私自身に有る無意識の罪悪感(幸せになってはいけないという罪悪感です)から、ある人から送られていた「あんただけ幸せそうにしているのが許せない。楽しそうに仕事しやがって」という想いを無意識的に受け入れてしまっていたんですね。
※クライアント様ではなく、プライベートの人物です。
はい。そうですそうです。私は楽しく仕事しちゃだめっすよね、ってね。
しかも私は無意識下に「賃金をもらう労働とは“苦しんだりイヤな思い”をしなければならない。そうでなければ、お金をもらってはならない。お金とはその苦しんだことへの対価である。お金とは自尊心をたくさん傷つけないと得られない。またそうでないのならば得てはならない。」というおっそろしい思い込みがあったのですね。
(ついでにこの思い込みは実母百合子からの強烈かつ強制的な刷り込みです)
確かにお代金を戴くことは大変なことです。
しかし、やりがいや喜びや社会参加・社会貢献ひいては全体繁栄という側面から働くこと。
また充実感を得ること。
それらが母には皆無だったのですね。
それを産まれたときから徹底的に私は刷り込まれたわけです。
ですから、楽しく自由に愛を受け取りまた与えるようにレイキの仕事をしていることに罪悪感があった。
その無意識の罪悪感をその人はハイエナのように嗅ぎ付けていた。
私が放っていた“罪悪感という名の闇”にその人は共鳴して(つけこんで)きたわけです。
またその人も母と同じ上記の無意識の仕事&労働に対する思い込みがあったわけです。
だから楽しそうに仕事をして、ましてや賃金を貰ってるなんて…潰してやる…レイキセラピストになんてさせてなるものか、といろいろな妨害や邪魔をする。
ようは自分の罪悪感が産み出した具現化したものを刈れと。
蒔いて芽を出し実ったのならば己で責任を持って刈れと。
その“実”が、美味かろうが不味かろうがです。
変化変容の直前は闇が深くなりますが。
いやな感じで需要と供給が成り立ってしまった。
目に見える領域の出来事にしろ、目には見えない領域の出来事にしろ、
相手の無法をいいだけ許してしまっている自分にも責任はあるということのいい見本です。
つまり私自身のいたらなさが(弱さが)そういった人を呼んでしまったわけです。
しかし、それはとても“大切な通過儀礼”であり、決して無駄な出来事ではなかったわけです。
しかしそのいろいろなその人の執拗な邪魔は視点を高くしてみると、
私のレイキセラピストとしての本気度や柔軟性や度胸を試されているような、
また天が与えた(あるいはレイキそのものからの)レイキセラピストとしての最終実技試験のような側面もありました。
本気で“愛と豊かさゆえの生業”にする気ならば乗り越えてみろ、解決してみせろ、可愛い子ぶってないで図太くふてぶてしくなってみろ。とね。
ステップアップするための変化変容の大切な通過儀礼。
赤子が狭い産道を通るときの苦しみと同じようなものです。
変化変容のステージが進むにつれ、不必要となった私の奥底の私の闇(自分自身の発展を塞き止めていた最奥の想い)を浄化するのに
「伊藤死ねばいいのにレイキセラピストなんかにさせるものか潰してやる」と私を呪ってくださった人は「悪役・汚れ役」を引き受けてくれたわけです。
具現化して私の目の前に現れてくれたわけであります。
当時は大変でしたし腹も立ちましたが、
今となっては「本当にありがとうございました」という気持ちであります。
嫌味でも皮肉でもなく、心からです。
心からそのイヤだった出来事に対して
「本当にありがとうございました」と思えた時、それは浄化完了のサインです。
無意識的にしろ意識的にしろ、
誰だって人を呪う汚れ役なんて本当はやりたくないのです。
だからその重要な汚れ役を引き受けてくれて、本当にありがとうございました。とね。
その呪詛は私の変化変容の、
次のハイステージへの、新しい舞台への移行の起爆剤・原動力となったわけです。
これらはケースバイケースですが、伝授後の浄化の一環としても現れたりもします。
ひとつ言えるのは、それら具現化した事象は決して無駄なことではないということです。
さらに飛躍しタフになれますし。
智恵と度胸と耐性&柔軟性がつきますしね。
ふっつーのマリオからスーパーマリオになったくらいの起爆剤。
ですのでビビったりなさらないで(笑)
相手の無法をいいだけ許してしまっていることはないでしょうか?
少し想いを馳せてみてください。
私は相手の無法を(無意識的にしろ意識的にしろ)許してしまっていることがあるのならば、
そんな無法は許可しません。
と軽く宣言してからセルフヒーリングに入るのもよいでしょう。
具現化する前に意識的に浄化することも可能です。
具現化が実だとしたらそれを種のうちに取り除く。
避けては通れないものと、避けてもよいものがあります。
私の一件の場合は避けては通れないものでしたが。
これについてはまた文章を整えて書きたいと思います。
ではまた。愛と感謝を。
クリックしてくださると今のあなたに最適にレイキが流れます。いつもありがとう。お礼までに。

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実際ふてぶてしくなってみて(人の顔色など伺わなくなって)解ったこと。
収入も愛すべき信頼できる人々も増えた。これは断言できることだ。