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19日と20日はファーストディグリー伝授と対面セッションのお仕事がありました。
対面遠隔問わずして最近多い案件は、ご家族間の支配し合う関係性をそろそろやめようか…と言う段階に入ってきている人が多いということです。
まあ、四方山話的に聞いてください。
最近は母親が娘をコントロールするというよりも娘が母親をコントロールするというケースも多いです。
娘の支配に苦しむ母という方も多くおられます。
今からする四方山話は、私伊藤の場合は母の支配欲に苦しむ娘というケーススタディです。
百合子に対しての恨み節ではなく、ただ単に事実という点で書いております…と言うかこうして公共の場で書いてるという時点で、もうしがらみが雲散霧消したということにもなりますしね。
いづれにせよ、支配というのは何も生み出さず関係を破綻させてしまうものです。
どのような関係性においても。
※
母百合子は長い爪は悪の象徴であるというようなことを長年娘に刷り込んできたのです。
わかりやすい例だと西太后のあの長い爪。
人から巻き上げた富と権力の象徴であるような爪だということを永遠に言い続けていたような気がします。
長い爪は手を動かさない労働しない、勤労者を搾取する者の象徴。であると。
(歴史研究家でもないのに西太后と聞くとすぐに悪の権化と決め付けるのも浅はかな話ですが)
戦後焼け野原の横浜で辛酸を舐め尽くして生まれ育った母(とその一族たち)は富める者たちに対しての憎しみや嫉妬心それは尋常ではありませんでした。
また母方は山梨県のお武家さんの家系なので昔自分たちが持っていた特権みたいなものを奪われたことに対する自分勝手な理不尽さを抱いていたのでしょう。DNA レベルで。いわゆる家系の癖と言うかカルマですね。
お武家さんというのは人を殺して立身出世していた人達ですから。正直えげつないカルマは持ってます。
私の台湾の先生が言うには
「確かにあなたのお母様(母方家系)はいかつい情念持ちだけれど、あなたのお母様(百合子)が、そのえげつない家系カルマを一気一身に引き受けてくれたという側面もあるのよ。家系に伝わる業病もあなたには出てないじゃない。」
確かにそうかもしれません。
兄妹姉妹(叔父叔母)は多いのに母だけが多発性嚢胞を発症しましたから。
(弟に同じ症状が出ましたが慌てて伝授をして日々遠隔ヒーリングしていますし、お陰様で病状は進行せず彼はアホほど元気です)
まあ話は戻りますけれど。
彼女のそういった情念(情報)が私の中から消えていった象徴であるが如く。
今年に入ってふと「そうだよ。私、長い綺麗な爪が好きだったじゃないか。」
もちろん長さや色はTPOをわきまえるとしても。(ネイルチップだからすぐ脱着可能ですしね。今ってホント便利。)
元来的な個人の好みとしてただそうであるという話なのですが、それらを母に押さえつけられていたものが手放されたんですね。
髪の毛は長い方が良いというのも母の刷り込みあるいは洗脳でした。
彼女は娘の背中の羽をもぎ取るに飽き足らず両足両腕を切断して自分の側に縛り付けておきたいと言う人でした。
要するに娘が自活できないように自活できないように仕向けていたような女性です。
親が子供に食事を与えるだけではなく、狩りのやり方を教える、これが基本ですよね。
彼女は食事は与えるけれどその食事を自分で取ってくることを教えることを異常に嫌がる。
学歴はつけさせたくない車の免許は取らせたくない友人や彼氏を作らせたくない家から出したくない。
実際彼氏などを家に連れてくるとものすごく嫌がったのは父ではなく母でした。
私は母より精神的胆力が強かったようなので、力の限りそれらに反発しましたが。
こういった話を聞いて、さらに自分がお母さんである立場の人は母百合子ばかりを悪者にしてと嫌な気分になるでしょうが。
実際娘の未来や可能性をもぎちぎるような母でしたし、おぞましいほどのコントロールマニアではありました。
母の臨終の際の出来事を書こうとか思いましたけど読んでる人の半分以上は完全ドン引きするだろうな、というような出来事がありました。
臨終間際の百合子の病的なまでの娘に対する執着依存「私の側からなにがなんでも離すものか」という出来事。それはここに書くのは止めておきます。
(私はそれでも母を愛していましたから、それを公共の場に書いてはさすがに可哀想かなと言う想いもありますしね。)
それでも私の母はまだマシなほうでしょうが実際娘が喜ぶと嫌がり娘が落ち込むと喜ぶと言う人もたくさんいます。
よく聞くでしょう?「母というものは呪い」というワードを。
「祝い」にもなれば「呪い」にもなる。
それが母という存在。
この仕事をしていて思うのはそれなんですよね。
母親というのを単純明快なものとして扱わない。
この話を聞いてなにがしか感情が揺れ動いたり、そんなことない!と荒ぶったりした人はちょっと考えた方がいいかもしれません。
例えば内田春菊さんのエッセイや小説などを読むというのも勉強の一環になりますよ。
「お母さんなんだから赦してあげなね」という言葉がセラピーやヒーリングの現場に於いて禁句であるということが。
クライアントに対して「赦し」を強調し過ぎるのはご法度です。
四方山話ですから話があっちゃこっちゃ飛び、読みにくくてスマン。恐縮です。
しかし自分のネイルアートを施した指を見ていると、百合子の愛憎呪縛が私から完全に浄化したのだなあと思うのです。
本当に時代がシフトチェンジ、変わったのだなあと思います。
もちろん私自身がセルフヒーリングをして浄化し続けたというのが大部分で、それにまさに追い風が吹いたわけ。
(自分で自分を癒す。これがまず何より大切で確実です。)
今年に入ってから私の心の奥底に頑として存在していた母という存在が消えたのです。
今現在の性が女性である場合の人は、如実にそれが(呪縛から解き放たれたことが)外見に出やすいというのは確かにあります。
化粧や髪型や好みが分かりやすく変わってきたりするというのがありますので。
四方山話でした。
愛と感謝を。ではまた新月一斉レポにてね。
クリックしてくださると今のあなたに最適にレイキが流れます。お礼までに。
まぁ人類にとって「母親」という女は、血のつながりあるなしにかかわらず誰にとっても例外なく呪縛は無くなれど忘れることなどできぬ「運命の女」だということですね。良くも悪くも。