日常雑記や業務連絡など、緑翆に関わってくださる方々との交流の場でもあるサブブログです
以下はサードディグリーまで終了したクライアント様からのご報告になります。
医療従事者さんでもあり本当に心が優しい方です。
しかし以前は私がそう彼女に言うたびに、彼女はほんの僅かに顔をしかめるということがありました。(気がついてた?(笑))
彼女の中の無意識下にあった『自分は悪である』『自分は汚いものである』という想いが手放せたのだという内容になります。
どんな私でもOK。
どんな私でも価値一緒。
それが本当に腑に落ちた時、いわゆる愛というものは溢れるのだと思います。
だって愛ってジャッジしないことだもの。
自分のことを。
きょう仕事で全体体操の指導をしている時のことでした。
利用者さまの体に触れながら、姿勢や動作の修正•指導をするのですが、突然体内外がエネルギーで満ちて熱を帯びました。
スーパーサイヤ人を可視化できるようなほど、手からもどんどん暖かいエネルギーが流れるので、勿体なくて(笑)沢山利用者さんに触れてお裾分けしてました😂
利用者さんの1人はエネルギーに繊細な方がいます。
最後に、肩に触れてじっとしていると
『うわ!○○さん。やってるでしょ、ビリビリする笑!すごいね笑』
とバレてきました笑。
自分で意図してないのに
こんなに分かりやすいほど大量のレイキが流れるのは初めてです。
この現象、一体何なのでしょうか?ふしぎでたまりません笑。
※追調査で、その利用者さんと今話してきました
触られた瞬間、地震がきたみたいに強い揺れをもったエネルギーが勢いよく流れて、驚いたけど気持ちよかったようです。
会話していたら、私の頭上に
赤い大きなエネルギー体と
ピンクの小さいエネルギー体が、沢山集まって、体に入っていったかも?とも言われました。
そのときも、朝と同様に体を全体(特に胸)がぽかぽか暑くて温泉上がりみたいでした。
きょうのリハビリはやけに
治療効果が出やすかったので、悪いものではない気はするのですが、!、
何度もすみません
ここまで書いて、閃きがあったのですが、、
これまで沢山の破壊を味わい、自分の陰を嫌気がさすほど見つめて許し続けてきました。
(無愛想でもいい。ハマると追及する、それもいい。などのあれこれ)
そして、自分でいるのが楽になっていました。
『わたし、そんな濁った存在じゃなくない?』
これまでは、レイキを流すとき、極力自分という意識を消す努力や、天からの純度100%エネルギーを、わたしを通して濁してはならないと思っていた節がありました。
料理も同様です。
とれたての新鮮な食べ物をあげるのは得意ですが、
わたしが調理するとわたしのエネルギーが入ってしまう。
相手にとっての100%ではなくなる。だから、人に作るのは苦手。緊張。。
ところが、破壊や陰との向き合いを経て、
きのうから、自分を愛せる深さが増した気がします。
わたしだからこそ出来ることがある。与えたい。
食べ物は、美味しいこの食材を、相手の喜ぶ顔を想像して料理がしたくてたまらない。
一緒に、わたしの手作り料理を分かち合いたい思いが高まっています。
レイキは逆に力みがぬけたように感じます。
わたしを通したところで、最善で最高のエネルギーが流れていることはごく自然のこと。
迷いなく感じます。
自分も天も信じられる。
これはなんとも心地いい。
詳細は不明ですが
この大きい変化が、今日のことに何か繋がったのかなと感じました。
意図せずにそういうふうに氣が満ちて、流れ、溢れる時の状態というのは。
相手のことはもちろん、他人のことはもちろん、自分自身をも、なんのジャッジもしていない状態の時なんですね。
結局、意識的にも無意識的にも自分にも他人にも審判を下しているという時は、とても辛く苦しいものなんです。
例えば他者に対しての『審判(ジャッジメント)』というのはとどのつまり自分自身に下している審判ということに他なりません。
こんな私は OK で、こんな私は NG というジャッジメントが消え失せた(浄化した)ということですね。
どんな私でもOK。
どんな私でも価値一緒。
それが完全に、自分というものを形づくっている最小単位、光子にいたるまで、腑に落ちた。
彼女は一皮むけたということですね(^^)
ホントおめでと。まさに『祝』だよね。
他の皆さんもご参考になさって下さいませ。
やっぱりサードディグリーは偉大ですね。
愛と感謝を。
『わたし、そんな濁った存在じゃなくない?』
そう、その通り。そしてそこのあなたもね。
ご質問、ご不安等ありましたら詳しくはお問い合わせください。