相手が誰あれ、して欲しいことをしてあげられるのにも限界はあります。
これは共依存についてのお話ですから、強く、はっきり、お伝え致します。
彼女はお母様がいる田舎から、これじゃどちらもいづれ駄目になってしまうと物理的な距離を置いた。
…すごく勇気がいったことでしょう。
母を置いてきてしまったと罪悪感にも、もがき苦しんだ。
でも、行動した。
さらにまずは自分を立て直そう、立ち直ろうと、さらに行動して緑翆にやってきた。
話を戻します。
それだけ、共依存というものは、無意識下に根深く、人生を豊かにすることを阻害するものだからです。
また、共依存に陥っている人は、他の人々にも共依存をおすすめ(仕掛けよう)としてきます。
SNSで共依存を賛美している人さえいる。
本人は無意識・無自覚ですから悪気はない。
よかれとさえ思っている。
日本は義理と人情の国ですが、それも少しづつ変化してきていますがね。
血肉を分けた肉親同士はベースにハードなカルマがありますから、そこに日本文化の義理と人情が絡みつくと、互いが互いの人生を阻害する。
たとえ血肉を分けた肉親同士でも、いち個人いち個人であり…
親の人生と子の人生はまるで別物であるということ。
親の人生を自分の人生にしない。
また、子の人生を自分の人生にしない。
以上を冷たいだの、何言っているか解らない(解りたくない)と思っているならば、あなたには共依存症の度合いが強い傾向があるということです。
感情の共有はむろん必要でもありますが、あまりにも過剰な感情共有やシンパシーは、互いの自滅・共倒れを孕むものであることを知っていてください。
相手が誰であれ、犠牲になってはならぬ。
この記事を読んでいる時点で、あなたは、その共依存を断ち切ろう、ベースにあるカルマを清算しようとしているからこそ、このような記事にぶち当たるのです。
今生の命題はたとえ血肉を分けた肉親同士でも、まったく違うものです。
あなたはあなた、わたしはわたし。
※
サブブログ。遠くに住むクライアントさまがたや友人たちとの大切な場、プラットフォームでもあります。↓
サブ記事へのレス、嬉しいです。ありがとう。
一つ前の記事内容の続きです。
シェアくださった方のお父様はその方が赤ん坊の頃(約40年前)にご自身で命を絶ってしまわれたのですが、お母様はいまだ立ち直れておられず、傷ついたままでいらっしゃいます。
厳密に云うと、それはお母様の問題であって、子であるクライアントさまの問題ではない。
お母様はその出来事を完了できていない状態ですし、また、色々な立ち直るためのプロセスを踏もうとしない。
(レイキはおろかあらゆる立ち直るための手立てを講じない)
未練でしょうし、執着してしまっている。
いつまでたってもその出来事の渦中に(心が)居続けているわけです。
メランコリックな感情は脳と心を麻痺させて、ある種の快感を覚えてしまう。
いつまでも浸っていたい。
たとえどんな辛い出来事であっても繰り返し脳内、いや、心内再生してしまう。
麻薬と同じです。
浸りたくないけど浸ってしまう。
これはご本人がいちばん苦しいのですが、麻薬と同じでやめられない。
ここまで書いて上記の文章そのものがちょっと無情なんじゃないの、と感じるそれこそがタイトルにつながります。
未練と執着がなくなると一見、情無しにみえたりする。
立ち直りが早い人を情無しと責めたりする人がいるのは
とどのつまり、
『私といっしょに悲しみに浸ってくれないの!?私はずっと浸っていたいのに!』
ってことです。
(それがどんな事象であれ)立ち直りの早さ遅さは千差万別。
しかし、いつまでも浸っているということは、
『わたしは未来に向けて歩みたくない、時を止めていたい。』
と言っているのと同じです。
それはそれ。
あなたが『わたしは未来に向けて歩みたくない、時を止めていたい。』のは
あなたの勝手ですから好きにすればいい。
しかし、立ち直ろうとしている人を情無しだのと非難して
『わたしは未来に向けて歩みたくないんだから、あなたもいっしょに留まってよ!』と
道連れにする必要はないのですよ。
もしくは、道連れにさせられていないか?
引きずり込まれてないか?
たとえ、家族でも道連れも感情の引き込み引きずられは、やめること。
これは家族間にこそ、多くみられたりします。
話を冒頭に戻しまして。
厳密に云うと、それは(立ち直っていないことは)お母様の問題であって、子であるクライアントさまの問題ではない。
と言いましたが、どうでしょう?この発言を情無しだと思いますか?
母子のエネルギーコネクト、または共依存にも繋がることですが、
そんないまだ立ち直れていないお母様をサポートするのと、いっしょにいつまでも浸っているのは違う。
後者の行き着く先は共倒れです。
お母様はお母様。わたしはわたし。
まずは意識的にもそれを念頭に置く。
それは決して、情無しなどではありません。
お母様には(意識的にも無意識的にも)そう見えたり感じたりしても。
感情の共有はむろん必要でもありますが、あまりにも過剰な感情共有やシンパシーは、互いの自滅・共倒れを孕むものであることを知っていてください。
ではまた。愛と感謝を。
クリックしてくださると今のあなたに最適にレイキが流れます。いつもありがとう。お礼までに。
人との距離はきちんと自分で決めること。たとえ相手が誰であってもです。
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