Self 
自分

Eeteem 
自己に対しての肯定的な態度、評価する尊重する、尊敬する
ありのままの自己を評価し、受け入れ、尊重する





もう、みなさんもうご存知のとーり
「セフルエスティーム」が叫ばれてはや十数年。


ここまで書いていて何なんだけど、
これは心理学用語じゃないですか。


んで、今回の話は心理学的に
進めようと思ってたんですけどね。

んで、自分の復習の為と
読んでくれている人に解り易いようにと
いままでの教科書やノートを読み返してみて、思った。


おうう…やっぱり、やっぱり…

私は心理学が好きじゃないんだなぁ~と(^▽^;)


なんかまだるっこしくて( ̄∀ ̄)



やっぱり私せっかちなんでしょうね。
もっと簡単で早いアプローチはないもんかねっ(`Δ´)!

(もっと簡単で早いアプローチ→科学♡(自分的に))

って書いてて思った。




あI
今日も雨ですね。こんにちはumetenですばい。




んでさっそく昨日の記事の続きね。いってみよっ!




その彼女からすると、

「私の物言いは断言的過ぎる。」そうで、

「どうしてそんなに『知ってる!』と言い切れるの?」と。


↑発言と発言者に対する強烈な批判ね。
この場合あくまでも発言者は「知っている」ワケです。
だから「言い切れる」んですよ。

ただ「発言者は知っている」ってだけです。自分が知らない事を。

だから「ふーん。そうなんだー。私は知らないけどねー。」でいいんです。
わざわざムキになって批判するこたないわけです。

裏を返せば
「「私が知らない事は(この世に)無い」んだから
「言い切る(れる)」のは間違っている」
と言っているワケです。この彼女はね。
(ま、無意識にね。)
「お前は間違っている」と断言しちゃっているワケです。
はい。セルフエスティーム(自己評価)が
低い女性にありがちな対応ですね。




彼女が言うに、

「言い方だと思うよ!強いんだよなぁ・・・。」て。


↑これはもう相手の人間の個性批判ですね。
強い言い方が好みじゃないだけです。
「もっと優しい言い方をしろよ!」って命令したいワケです。
(そんな権利は誰にもないから…(笑))

シェアしてくれた友人の物言いは確かにキツい時もあると思いますが

私にとっては「小気味良く大変好ましい」ワケです。

つまりそれそのものは批判対象にすらならないわけです。

①はよしとしよう。それは「好みの問題」だから。

トマト嫌い・トマトが好きと言っているのと

おなじだから。

つまりトマトには全く罪もなければ罰を与える必要もない。


まさかトマトが嫌いだからといって根絶やしにしたい…
なんて思っている人、いませんよね?…(笑)









んでここで解説。

もう皆さん周知の通り、
私たちは社会が求める「文化的期待」の中で生きているわけです。
多かれ少なかれね。
そしてそれにある程度遵守させられているワケです。
意識的にも無意識的にも。
どんな人でも。



この「文化的期待」…
たぶん地球上どの国に行ってもあるんでしょうね。
「文化的期待の女性用シナリオ」
「文化的期待の男性用シナリオ」

簡単にゆーと

女の子はこうであるべき。

男の子はこうであるべき。

ってヤツです。


んでこの記事のケーススタディが女性なので
「女性用シナリオ」を見てみましょう。



人に尽くしたり(恋人・家族・友人)
人から 頼りにされたりすることで、自分の価値を測れ。まず他人ありきだ。自分の欲求は死んでも抑えろ。人に愛されて(評価されて)初めて己の価値が上がるのだ。お前の価値はお前が決めれない。お前の価値は他人が決める。



簡単にいうとこれが
「文化的期待の女性用シナリオ」です。


他人に愛され、認められ、評価されないと
気力を失って病気になったり
絶望して死にたくなったりする
女の人もいるでしょうね。


「あたしぃ~自分のためには全然頑張れないけどぉ~
あなたの為(家族の為)ならめっちゃ頑張れるワンワン♡」


という恐ろしい事をのたまう女性も実際いました。



つまり「愛するより愛されたい♡」です。


愛される為ならどんなに己の無意識下で
拒絶している事でも
しなければならないワケです


あなおそろしや。


そんなことをやり続けていたら、
そりゃ欲求不満にもなります。


無意識にイライラして
楽しそうにしている傲慢(だと思い込みたい)な
友人が嫌いにもなるでしょう。


他人の事も攻撃したくもなるでしょう。


このケーススタディは
「女性用シナリオ」に乗っ取って行動・発言していない
女性を攻撃しているというワケです。


もう無意識下では解っているわけです。
「本当は私だって自分の自由に生きたいのに。
他人の事よりもまず自分を優先しなければ…」ってね。
(むろん彼女の脳ミソは解ってはいないが)


だから私の友人を「傲慢である」と思いたいわけです。

女性用シナリオから解放されて
自由に楽しそうに生き生きしている友人を
憎らしく思うわけです。










くだんの彼女、
「言い方変えたらもっと人から愛されると思うよ。
より皆のことをハッピーにできると思うし。」て。完全な「女性用シナリオ通り」の発言ですね…まだこんな寝言を言ってるヲンナいるのかよ…ってね。






ここまで書いてて、ほんっとーにぐったりしてきました……



ヘイヘイ!
今はもう21世紀ですぞよ?
昭和の半ばのヲンナかよ!


この女性用シナリオってのは誰にでもあります。
家庭を持っている女、子供のいる女・いない女、
独身の女、少女から老年の女性まで。
この記事を書いている私(旦那持ち子無し)にさえあります。
恐ろしい事に。
ただ「あ。コレは女性用シナリオだ…」って
気づいているかいないかの違いだけです。
それほど実に巧妙にインプリントされているのです。






次回は
「もっと人から愛されると思うよ。より皆のことをハッピーにできると思うし」
に潜む危険性を書きます。


もっと人から愛されると思うよ。か……。
「(能動的に)愛したい」とは思わないのでしょうか、いい加減。