興味ある人は
「テーマ別(レイキ)」を読んでみてちょ(・ω・)/
レイキによる毒素排出(好転反応)の経過-2にて
(http://ameblo.jp/umeten2009/entry-11989294277.html)
「どのよーに好転したのかをもっと具体的に聞かせて?」
という素敵リクエストをメッセージにて頂いたので
(ホントありがとうです♡)
またしても書きたいと思います(`・ω・´)キリッ
超たのしーぜ!!(`∀´)イエッ☆
どんなに頼まれても
私自身が楽しくなきゃ、書きませんです(・ω・)/ハイ
過去記事なのに
ホント、マジに読んでくれてる人…いるんだね…
嬉しいです(ノ_-。)
頑張った甲斐があった。
ああ、結局さ、
私がマジ気合い入れて書いたから、
それと同じ熱量(エネルギー)を
私に返してくれる人がいるんだね。
↑コレ超重要!
ホント~全ては自分に返ってくるんだね~…
しみじみ~(゚ーÅ)
今回はそんな難しい事、書いてないよーン!
興味ある方♡
物好きなおう!付き合ってやるぜ!的な方♡
お付き合い下さいまし~(´∀`)
何度も言うけど、レイキの生理的反応は個人個人千差万別です。
あくまでも「私の場合は」というケーススタディですよ。
んでね。「どのよーに好転したか」っつーと。
結論から先に言います。
全部だれかのせい
全部なにかのせい
にしてた!!
あたし!(汗)
って気がつきました♡
これが今回のレイキ施術の一番の
好転反応なのかなぁ~?
気づけただけでも儲け物♡
んでどーして気づけたのかってゆーと、
施術中のウツラウツラした状態
(おそらく変性意識の状態)の時に
ふっと心(頭じゃないよ心、心臓ね)によぎった…だけです。
「ああ、全部だれかのなにかのせいにして、
私という人間の一切の権限・尊厳、
一切の責任を放棄して
私は私をなによりも
一番大事にできていなかった。
ないがしろにしてた。」
ってね。
(これはどーゆーことなのかというと
万物とフルオンエアでコミュニケーションしている無意識から
やってきた私にとって、超重要な情報だったのでしょうね)
いままで、超ナルシスティックに自分が可愛かっただけで、
自分という人間を(能力を)
超馬鹿にして、超ナメてたってこと。
今まで、自分でもそんなつもりは全くなかったのだが…
だからだよ!だからだったの!
いまこれ書いててさらに気がついた!!
私が私を(無意識に)
小馬鹿にして超ナメてたから、
リアルでも私とゆー人間を
コントロールしたがるヤツが現れたりさ!
このブログ内でさえ過去に小馬鹿にしたことゆーヤツ、
コントロールしたがるヤツが現れたりしたんだYO!
(言ってきたヤツ自身もコントロールしたがってるって
自分で気づいてないだろーけどね。あはは。)
例えば、私がこのブログを通じて、
どんどん明るく楽しいヤツに(これでも明るくなったの♡うふ♡)
変わってゆくのが実は面白くない人とか。
作品を発表するたんびに何かに似てるとか言われたり。
んで私もそれをいつまでも気にしたり…
書くのやめよーかなって思い悩んだり…
(まぁ書いて欲しくなかったンだろーね、
私に詩とかさ。umeのくせに生意気な!
ってカンジだったんだろーね。
その人も悪気があったわけじゃなくてさ、無意識に)
過去にってことよ?過去ね。
つまり「レイキ」の過去記事に書いたとーり、
私が彼らを呼び寄せたことになる。
(ワームホールによって受発信していた)
今は、
私が私を
責任もって
信頼してる
から。私を。
の状態でワームホールによって受発信した人は……
だから優しい人や、スッゲー聡明な人、
私の話をマジに読んでくれる人がいっぱい現れたんだ!!
すげー( ̄□ ̄;)!!
………って一人で勝手に興奮しちゃったよ…スマン…
私がこんなみじめな気持ちになっているのは、
誰のせいでもない。
世の中のせいでもない。
旦那のせいでもない。
親のせいでもない。
私、自身が、その感情を、選び取っただけ。
私がこんな素敵な気持ちになっているのは、
誰のせいでもない。
世の中のせいでもない。
旦那のせいでもない。
親のせいでもない。
私、自身が、その感情を、選び取っただけ。
ひとのせいにしたりするってのは
自分をないがしろにしてるなぁ~…って思った。
これが明確に、鮮明に理解できたかな…?
ってのがレイキ施術によってはっきりしました。
理屈上でも体感的にも。
「気づけただけでも儲け物」でした!
下記の文章はレイキとなんの関係もない本から引用しますが、
今回の私のレイキの作用にとても酷似しているので載せておきますね。
もし宜しかったらどーぞー♡
メッセージくれた方、
本当にどうもありがとうございました!!
んじゃまたねー!にんにん~(・∀・)ノ
現在の社会では、自分の性格づけを行う際、この根拠を自分の内にではなく、
外に求めることが多い人が75%にのぼると予測されている。
すなわち、あなた自身、まずたいがいはこの例にもれないだろうということだ。
自分をコントロールする拠点を「外に」置くとはどういうことだろうか。
基本的には、今、自分をこういう気持ちにさせている責任は、自分以外の人間、
あるいはものにあると思うならば、「外に」おいているわけである。
かりに「なぜ不愉快なのか」と聞かれて、「両親にひどい扱いをうけている」
「彼女に気分を害された」「友人に嫌われている」
「ついてない」「ものごとが全然うまくいかない」……といった答えをしたとする。
そうすると自分は「外に」拠点を求める立場をとったことになる。
逆に、なぜそんなに楽しそうなのかと聞かれて、
「友達にめぐまれている」「運が向いて来た」
「私の邪魔をする人間が一人もいない」
「彼女が私のためにうまくやってくれた」と答えるなら、
やはり自分の外側の枠にとらわれているのであり、
自分が抱く感情を自分以外の人やもののせいにしているのである。
自分をコントロールする拠点を自分の内におく人は、
自分がどういう感情を抱いても、
その責任を自分の双肩にしっかりと受け止めるものだ。
ただ、こういう人は今の社会には非常にまれな存在である。
先にあげたのと同じ質問をされた場合、
こういう人の場合は自分の内面を中心とした答えが返ってくる。
たとえば「自分が考え違いをしている」
「他人の言う事をおおげさに考えすぎる」「他人がどう思っているか心配だ」
「不愉快にならずにいられるほど、自分は強くない」
「みじめな気分にならなくてすむ術を知らない」という具合だ。
同じように、自分の内面を中心に考える人の機嫌がいいときの答えも、
自分が主体になっている。
「楽しくなるように努力した」「自分でものごとを自分の役に立てた」
「自分の考えが適切なのだ」
「私は自主的に生きているし、それは自分から進んで選んだ状態だ」など。
このように、四分の一の人は自分の感情に対して自分で責任をとり、
四分の三のひとは外的なものにその責任を転嫁する。
さて、あなたはどちらに入るだろうか。
ほとんどの場合、「なすべきこと」とか、
しきたりを無理強いするのは外的な要素である。
つまり、「なすべきこと」もしきたりも自分以外の人や
モノによって課せられるわけである。
もし「なすべきこと」という重荷を背負って、
他人の定めた因習を破る事ができないでいるとしたら、
自分の外にある袋の中にすっぽり入っていることになる。
三笠書房「自分のための人生」よりウェイン・W・ダイアー著