探偵ナイトスクープを動画サイトで見てたら止まらなくなってしまい、いくつかの話では涙が止まらなくなって(T_T)

しかし何ですねー、近頃は何を検索してもNAVERまとめに頼ってしまい、便利なんだかどうなんだか?


まとめサイトなどで名作を紹介してましたが、ここでも思いつくものだけを紹介。
ちょっと前に観た一休さんになりたい子供は、僕の中のたむけんさんの評価を一気に上げた作品です!。二人の会話の間、ずっと号泣(^^;;話し方が上から目線じゃない所が、素晴らしい。

昨年位に放映された、23年間会話のない夫婦。他の動画が数千回から数万回なのに、飛び抜けて再生回数が多く、ネット上で賛否の反響が大きかったようですが、夫婦とは?家族とは?ってふかーく考えさせられる話でした。

因みにちょっと前に観た、夢の中に出て来た女の子に恋をしてしまった旦那さんの話、やらせ感が強かったのですが改めてよく観ると、小枝探偵、ロケ中に泣いてまして、もしドキュメンタリーだとしたらとんでもない番組だなという今さらながらの感想です。
演出と偶然の境界線、という辺りが、この番組の凄さ!バカらしい、と思って見てても出てる本人は至って真剣なのです。
探偵が入れ替わってからなのか最近は、便利屋替わりになってるVTRが一つも面白くないのは何とかして欲しいです。依頼者(素人)が真剣じゃない事が最近多いようです。


おじいちゃんの探検隊、というのもいい話です。孫とその友達をどぶ川や危険な所に連れ回すおじいちゃんを叱って下さい!との依頼に、探偵は最後依頼者ではなくおじいちゃん側について「なんも悪いことしてませんよ」という終わり方。


そんな中で、一輪車に乗りたい元ヤンキー、という話がありました。高校中退後、働いている若者が、小学校の時に1人だけ一輪車に乗れなかった挫折体験を克服したいという話です。最後、一輪車で家まで帰るだけというエンディングですが、自分の体験を振り返ってしまいました。



僕がいた小学校では、二年生まで自転車禁止で、3年に上がる前に試験を受けて合格したら自転車に乗れる、という制度でした。通学ではなく普段の生活でもそうでした。


普通の子が三年生から自転車に乗って遊びに行くのに、自分だけ五年生になるまで走ってついて行ってた記憶があります。

やや突飛な話ですが、今回はそんな思い出がメインです。

自分ではそのことをあまり気にしてなかったのですが、今になって周りからどう思われていたのか、少し思うところがあります。
というよりも、過去から現在まで、自分が他人に対してどんな印象を与えていたのかを考えるきっかけになったので、ここに書き留めておこうと思います。

客観的な指標はないので、全て主観と、その時々の相手の態度やセリフが元になります。


運動神経に問題があるのか、性格に問題があるのか。最初の試験の時は自転車を持って行かなかったので不合格になったのです。試験前には誰もが庭や駐車場で、おそらく日曜日にはお父さんのコーチの元に練習して試験に臨んだと思います。
当時は兄の乗っていた大きな自転車しかなく、練習をした記憶もあるのですが、試験当日には「自転車が無い」との理由で試験を受けなかったのです。おそらくその時自分の中では、「そもそも二年生までは自転車禁止なのに練習が出来るわけがない」みたいな理屈が働いていて、ボイコットしたのだと思います。

三年生の試験は、何人かの昨年落ちた子と転校生が一緒に受けた記憶があります。ただ当時一学年下の子たちは流れ作業的にコースを走ってみんな合格になっていたのに、再試験の三年生は1人ずつ減点方式で採点されて、自分の場合はスタート前に後方確認をしなかった、停止位置をオーバーしたとの理由で不合格になりました。
あきらかにフェアではない裁量だと当時の自分は思ってました。

保育園時代からこういった先生とのやり取りや規則が馬鹿らしく意味のないものに思えて、反発も中途半端にしかせずに、逃げるという形でやり過ごしてきたのです。


結構頻繁に、ブログの中などでも自分なりの理由はあるけども結局うやむやな形で終わるのもそういう諦め感があったからです。


ここからの話は過去に対しての考察です。何か結論が導き出される訳ではないと知りつつ思う事を書きます。


少なくとも世間的に今の自分は、酷くルールをはみ出す事もなくそれなりに社会的活動をして生活を送っていると認識されている気がしています。
いや、それは違うよ。という突っ込みも一部あるのも認識してますが、それはまた別の場所で。少なくともルールに縛られている人間の一人であるとは言えると思います。


自分が特異な人間という事ではないです。人生の中で、取り立てて目立った記憶はなく、むしろ目立つ要素もないと思います。


自転車の話に戻ります。

自分が周りからどう認識されているのか?という事を考えるきっかけとしては、一つのエピソードです。

少なくとも小学校低学年から高学年まで、自転車に乗れない少年と認識されていたと、今になったらよく分かります。

当時、一学年下の近所の子が、やけに自分に対して突っかかってくるのには、自転車の件があったのでは?と思い至りました。1人だけだったのですが、その子に同調する形でその子の友達にも冷たい態度を取られた事があったので、些細な事ではありますが、一学年下の子に対しての扱いが不安になったりもしました。

今時点で、過去のその時々で、いちいちどんな風に思われているか考えても仕方のない事かも知れません。そのその年下の子にしても、見下した感じよりも妬んでる感情だったので、全く違う理由があったのかもしれません。


今この年になって思う事は、周りの評価をもっと気にしていかないとダメだという事です。


小さい頃は外見がほとんど。小学校から中学校までは運動が出来るかどうか。それ以降は勉強が出来るかどうか。社会人になったら仕事が出来るか。
というのがいわゆる評価の基準でしょうか。

モテる基準の話ではありませんが、そういった評価が結果としてモテるかどうかにつながるのでしょうね。

結局そういう事⁉︎ではないですよ…


ただ今までそういう評価なんてどーでもいいと思ってましたが、かっこいいと言われる生き方を目指すのもいいかと。