こんにちわ
読んでくださりありがとうございます。
アメイジンググレイスを何度も聞いています。
誰もが知っている有名な曲とは思ってましたが
その背景など何も知らなかったことが残念です。
この曲の作詞をされたジョン・ニュートンさんは
奴隷解放運動を推進し、自分がかつてしてしまった
奴隷への行いも隠さず、日記なども公開して
奴隷がひどい扱いを受けていることを
正直に語り彼が亡くなった1807年に
英国は奴隷貿易をとうとう禁止したそうです。
彼が改心して英国協会の牧師になってから40年以上・・・
彼の魂の計画は凄いなって思います。
最初に犯した罪さえ、彼の物語の一部なんだと・・・
どんな罪を犯したとしても
私たちは生まれ変われる・・・
そのことにどんなにか勇気付けられることか・・・
生まれてから悪い事などしないでも生きてこれた事にあぐらをかき
罪を犯した人々間違っている人々を断罪するほうが、
見方を変えれば神の御心とは反対のことをしてしまっているのかもしれません。
「驚くばかりの 恵みなりき この身の汚れを 知れる我(われ)に」(新聖歌233)。教会に行ったことがない人も、どこかで耳にしたことがあるであろうこの歌詞を、ニュートンは1779年に発表した。「アメイジング・グレイス」は、今日も教団教派を超えて歌い継がれている定番の賛美歌となっている。この歌は深く自伝的な響きを持ち、ニュートン自身の劇的な回心の経験がその根底に流れている。
ニュートンは1725年、貿易船の船長の息子としてロンドンで生まれた。母は熱心なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳になる前に病死する。ニュートンは11歳で父と共に船に乗るようになり、さまざまな経緯を経て奴隷貿易に携わるようになった。その頃のニュートンの評判は、反抗的で、罰当たり、不親切というものだった。
しかし、ニュートンが22歳の時に転機が訪れた。1748年5月10日、激しい嵐が船を襲い、転覆の危機にあった船中でニュートンは神の慈悲を求めて必死に祈った。船は奇跡的に嵐を免れ、この経験がニュートンの回心の「始まり」となった。1754〜55年の間に、ニュートンは奴隷貿易をやめ、その代わりに神学を学び始める。そして1764年、ついに英国国教会の牧師になった。
ニュートンは、黒人たちをまるで家畜のように扱う奴隷貿易を直ちにやめるわけではないが、最終的には過去の生き方と決別し、その罪を悔い改め、奴隷貿易に反対した政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースと共に奴隷貿易廃止運動を活発に推進した。ニュートンは奴隷がひどい扱いを受けていることを正直に語り、1807年3月、英国はついに奴隷貿易を禁止する。そして同年12月、82歳で地上での生涯を終える。
ニュートンは多くの作品を残した賛美歌作家であり、詩人ウィリアム・クーパーとの共作『オウルニィの讃美歌集』(1779年)は、英国国教会で影響力のある歌集となった。晩年、失明に苦しむが、「アメイジング・グレイス」で述べられているように、彼の心の目はそれまで以上にはっきりと見えるようになったのである。
転載終了
讃美歌の中でも一番人気があると言われるアメイジンググレイス。
本当に沢山の方に歌われています。
それだけの背景や物語は確かにあります。
大切なことも難しい言葉じゃなくても伝わるんですね。
自分の悩みがちっぽけに思えてきます。
何十年もかけて奴隷解放を成し遂げたこと
反対も妨害もきっとあったでしょう。
利益相反する事なのですから・・・
しなくても良い事をあえてする勇気・・・
信念を持ち続けることもたやすいことではないけれど
神の大きなめぐみの世界が見えていた彼はぶれなかったんですね。
神の息吹や存在に触れたかと思うとまた現実の辛いことに流されてしまう日々ですが
このアメイジンググレイスを歌う時には
未来の自分に繋がって神の恵みや恩寵を知っている
私でいたいなって思います。
私の中では
去年、自然栽培の概念に触れた時
暗闇の中で一筋の光に触れた気がしました。
地球の環境問題が解決できる可能性に満ち、
人知がおよばないほどの大自然の素晴らしさ完璧さを知ったのですから。
その時の喜びを私も表現したいってずっと思っていて
ふと流れ出したメロディがアメイジンググレイスだったんです。
ボイトレを再開しようとし、手続きしてる時でした。
先生に課題曲にお願いしてみるつもりです。
この方の魂を感じる歌が好きです。
伴奏も何も必要ないほど本当に素晴らしいと感じました。
魂から湧き出る声は音叉やクリスタルボールよりパワーがあると確信しました。