私たちは皆自分の宇宙の主人公  分離の次元からの卒業 | ガイアからテラへ 宇宙の愛をあなたに    ハッピーになるメッセージ

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こんにちわ

 

読んでくださりありがとうございます。

 

 

ずっと絶賛感情の浄化中でしたが

 

緩やかに収まってきています。

 

 

昨日はみんなお孫さんがいるような年代の方ではありましたが

 

いろんな事を語り合えてとても嬉しかったです・・・

 

 

なにしろ日中私はずっと家にいて

 

一人で過ごしています・・・

 

 

文章を書くのに

 

内面的なことになると半日かかってしまうこともあって

 

やることがないってことはないのですが・・・

 

 

でも、一人で気が付くことと

 

人との会話によって気が付けることは

 

質が違い

 

いろんな方とのコミュニケーションは

 

それを加速させるんだなと思いました。

 

 

もちろん、そこに恐怖とかがあれば逆方向なのかもしれませんが

 

お互い対等で本音で話せれば

 

そこに沢山の気づきが生まれ

 

自分のこだわりがなんと小さなことか・・・

 

と思えることも沢山あるんだなと・・・

 

そんなことを実感しました。

 

 

経験豊富な方々のお話は本当に

 

目からウロコなことが多かったです。

 

 

例えば昨日の印象に残ったお話です・・

 

ある年配の女性の家族がガンと診断されても

 

その方の父親も

 

切開してもどうにもならなくらい悪化しているガンだったので

 

でそのまま閉じられ

 

あと一週間が山場と言われたのに

 

それから10年も元気に生きたそうです。

 

彼女の夫がガンと診断され

 

さらにあちこち悪いとこだらけなのが

 

発覚しても

 

淡々といつもどおりのボラティアも続け

 

普通の暮らしをしていたお話とか

 

(結果的にもしばらく治療して元気になってます・・・)

 

人生どうなるかなんてわからないから余計な心配しないって

 

なんとも男前な感じです。

 

 

私は家族がガンと診断されたら

 

それこそみんな慌てふためき、心配で暗く深刻になり

 

病気を隠したり、夢をあきらめたり、

 

普通の生活がおくれなくなるほどの

 

衝撃を受けるものってドラマで良く見るみたいに思っていました。

 

 

でも全然違う受け止め方をする人もいるって知って

 

自分の見えてないものが見えたような気持になりました。

 

 

別の選択肢があることに気が付けていなかったというのか

 

自分の世界の狭さを思い知ったような

 

そんな気持ちでした。

 

 

私も家族のことなど思いのまま自由に話しました。

 

だからでしょうか

 

 

私は夫の世界観を否定していたことに気が付きました・・・

 

 

私は、子ども達が幸せに暮らせる社会を作るのは大人の責任と思っていたけど

 

どこかですべての大人がそれをするべきと思っていたんです。

 

だからそういうこと全く無関心の夫は間違っていると無意識に思っていたんだと思います。

 

 

普段は家庭の平和を保つのに必死で、気が付けてなかっただけで・・・

 

 

よく「今だけ金だけ自分だけ」という言葉を聞くことがありますが

 

もうすでにその言葉には自分のことしか考えていないという

 

批判が込められている言葉になってしまっていますが

 

 

私だって無意識にそうだったわけです・・

 

 

この三次元には皆自分の体験したいことをするために来ているので

 

課題はみな違うし、楽しむことだけが目的な人もいるわけです。

 

 

なのに私は自分さえ良ければいいとする人を

 

無意識に批判していたということ。

 

気が付いて随分楽になりました。

 

 

心の世界に自他の区別はないので

 

 

私も私自身を批判していて苦しかった・・・

 

 

それに気づいただけで楽になりました。

 

 

そしてエゴは安定を求め、魂は冒険したがるという構図を知って

 

そういうことか!と。

 

 

これが私の葛藤の源であり、でも決して特別ではなく

 

だれもが体験することなんだと・・・

 

 

私のエゴは魂が特別苦しい経験ばかり選択するので

 

そこに不満を持っていました。

 

私は特別という分離意識。

 

 

でも私の苦しみは決して特別などではなく

 

よくある象徴的な出来事だったいうこともわかりました。

 

 

それはドラマなどで繰り返しに似たようなテーマを見せられたことがきっかけでもありました。

 

 

そして自分が許せない経験があって

 

どうしてそんな体験が私に与えられたのかと

 

いまだに受容できずにいるから

 

繰り返し形を変えては目の前に現れているにすぎないと・・・

 

 

普通ではありえないと思うから受容できず

 

そんなのドラマの主人公じゃないと起きないと思う

 

自分は主人公じゃないと思うから・・・

 

 

先日気が付いたことを書いた記事ですが

 

 

 

かなり荒削りですが

 

自分にイメージとしてやってきたことです。

 

一人一宇宙でその宇宙では自分が創造主であり主人公なわけで

 

そのことが分かってないから

 

ドラマの主人公みたいなことが私に起きるはずがないと思う・・・

 

 

でも、みんな自分の宇宙の主であるわけで

 

そのことを自他ともに認められている人はどれほどいるのだろうか・・・

 

 

自分だけがこの宇宙の神で他の人は違うというのは

 

分離の次元になってしまい、しばしば闇落ちするという現象とも通じるものがありそうです。

 

 

すべての人がその人の世界においての創造主と認められるかといっても

 

そんな発想自体ないわけで・・・

 

 

ふと、聖徳太子の日出所の天子が日の沈むところの天子に・・・

 

という言葉を思い出しました。

 

 

そうやって、お互いをここでは天子という言葉で尊重し合ってる姿勢に

 

通じるようなものを感じました。

 

 

しかし、普通はこの世界を自分が創造しているとは

 

まず知らされてないし、ちょっと認めようもない・・・

 

そんな葛藤は誰もが通るのかもしれない

 

 

ということは私は決して特別ではなく

 

皆が通る道の途中なだけ・・・

 

 

私は自分に起こる出来事が

 

あまりにも劇的だけど、どこかマンガにみたいで

 

そこが受容できませんでした。

 

 

私にそんなことが起きるわけがない

 

悪い夢をみているよう・・・

 

 

それは自分がこの宇宙の主人公であることを

 

認めるのが怖いから。

 

 

認めてしまったら、すべてが自分の責任です。

 

 

この世界のすべての問題が自分を通して出現しているということに

 

耐えられない・・・

 

 

ホオポノポノの世界観も同じですね。

 

 

全てが自分の責任・・・

 

 

私は気が付いただけで

 

 

全然認めたりできてませんが

 

 

それでも

 

 

なにかすっと楽になりました。

 

 

特別意識は分離の次元だから。

 

 

何かひと段落したような気持です。

 

 

そして
 

 

このブログは10年前の二月に再開したものです。

 

その時の気持ちにまた戻ったような気もします。

 

いただいてきた様々なものをお返ししていきたいという気持ちです・・

 

 

第一章が終わり第二章が始まる・・・

 

そんな気がします。

 

 

もっともっと空っぽになって

 

ただシンプルに生きて行けたらいいなと思う。

 

 

必要なことはやってくる

 

実際に私の人生はいつもそうだった。

 

 

そして私が争っていたのは自分自身。

 

そのことがやっと分かったから

 

 

魂の声に正直に生きて行きます。

 

 

今日心流れてるメロディー。

 

なんでこんなに好きなのかは知りませんが、本当にミスチルが大好きです。