驚いたのなんのって。
垣谷美雨さんという作家さんの小説「リセット」
を読んだことがきっかけで、次から次へと、
読み漁っています。
「リセット」は人生の結果がある程度出た中年女性が、
「もしあの時、違う選択をしていたとしたら…」
と考え始め、同級生の友人と3人くらいで、
タイムスリップを経験する話。
何となく面白そうで読み始めたら、面白くて。
小説数冊を読んだ後、エッセイも読みました。
「行きつ戻りつ死ぬまで思案中」というタイトル。
その中に、「講演は苦手です」というものがありました。
なんでも、著者は有名になったことから講演依頼が来るように。
ある時、大学の看護学部からの講演の依頼が。
その依頼書の最後に、このような文章があったそうです。
”「今までの例ですと、謝礼金は大学側に寄付するとおっしゃってくださる方がほとんどです」”
…は?
大学さんよ。タダ働きさせる気か?
口調こそ柔らかだが、それは「脅し」以外の何物でもありません。
著者本人もこれについて、驚いた、と書いておられました。
講演者は、講演をするために、沢山の時間を使って準備します。
(中には、短時間で少ない労力で準備する人もいるかも知れませんが)
講演をする1時間、2時間の間だけ、労働しているわけではないのです。
時間とお金を奪う、そんな人が私は嫌いだ。
もちろん、自分で好きで他人のためにお金も時間も使う。
それを自分で喜んでやるのなら、むしろ良いこと。
たとえば日常で友人とお茶を飲みながらお喋りを楽しむ。
そういうのは自分の意思。無理してまでつきあいませんよね。
この大学の看護学部から依頼が来ても、
「寄付かぁ。大学さんもお金もないだろうし、この講演内容に共感できるので、まぁそれもいいかな。一肌脱ぐか!」
と思える「状況」の人なら、いいと思うんです。
お金も時間も余っている人。
でも、何かと要りようなこの世の中。
お金も時間も余っている、なんて人はあまりいない。
たとえば…
子育てが終わったとしても、親の介護と見送り。
実家仕舞い。墓の移動やら墓仕舞いやら。
これらでかなりのお金がかかります。
そして自分が亡くなるまでかかり続ける香典代。
親類には絶対、その他友人知人が100人以上。
総額香典、すごいことになります。
年金暮らしの80代のアナウンサーが仰っていたのですが、
「今時はお通夜やお葬式には顔を出さず、
3人連名で花を贈る。そうすれば3人で5000円位。
1人2000円弱で済む、という友人がいる」と。
この習慣、もっと一般化すればよいのでは。
どんなに生前、「身の上相談」などでお世話になった友人、
知人でも、香典は3000円で統一したほうがいいと思います。
身内については…
身内を見送るのに、「直葬」(火葬のみ、写真もなし)
なんて、ありえないんですよ、普通。
そんな勇気はありません。
だいたいの身内には親類も友人もいて、生前一所懸命生きていた。
そのような人を特殊な事情(震災で火葬の順番待ち…とかの)
もないのに「直葬」なんてできませんって。なかなか。
…というわけで、ここは節約は最小限になる。
写真と、棺に入れる花くらいは用意したいですから。
なので、他の香典代とかは、目いっぱい節約してはと思うのです。
見栄を張る必要なんかない!
「体調不良で」と言ってお通夜を休むなどすればいい。
心の中で仏さんに別れを告げるだけでも良いし。
生きている人間の生活のほうが大事ですからね。
お金が無くなって、光熱費を滞納して止められ、
住んでいるところを追い出されて、ホームレスに…
そうなるわけには、いかないんです。
話は戻りますが、こういう「寄付してね」という搾取。
たとえ私が大学生を持つ親の身になったとしても、
賛成できない。
もっとはっきり言えば、おぞましい、の一言に尽きる。
学費から捻出するのだろうから、大学での講演会は無しに。
もしくは無償でやっていただきたいと始めに伝えては。
そうすれば、タダで働きたくない人は「都合がつきませんので」と断りやすくなる。
人にタダ働きという無理をさせてまで、やることではありません。
大学の学園祭なども大変ですね。
人に講演を頼む、ということは、
「お金が発生する」ということ。
ただですら大学の学費は高いのだから、
お金をかけて「著名人を講演会に呼ぶ」のは、
やめてもらいたい。…と、保護者の身としては思います。