アメリカでは、ネイリストの事をマニキュアリストと呼ぶ。私のネイルサロン通いは、もう24年になる。当時私は高校生。
ロングルアージュが、まだ西麻布にあって。。私は小さい頃から爪を噛んでしまう癖がある。今でも私のコンプレックスのひとつが手である。人を見る時私は良く手に見とれている時間がある。相手が喋っているのに、その人の手を見て色んな想像をするほど。男女含め。。。。
手の形や、爪の形がどーしても気になるのだ。そして手の仕草も大事でね。
昔は煙草を吸う仕草にも興味があった。
煙草が体に悪いとかそんな事はどうでもよくて、煙草を持つ手に憧れる。全体見て絵になるか?ならないか?と。
人の手を見るだけで時間はあっという間に過ぎてしまうほどに。。
私の初代のマニキュアリストが、単身でアメリカに行ってしまったのが今から9年前だった。その名は小滝さん。。
当時の私は爪をかじってばかりいたから、スカラプチャーが当たり前であった。
私の醜い手をいつでも変身させてくれた。
大袈裟ではなく、小滝さんがいないと生きていけないほどだった。だって小滝さんの技術100点なんだもの。爪の形に沿って爪を作らない小滝さんの技術に感動したものだ。下手な技術者は、学校で教わった事しか出来ないのである。応用が効かない。甘皮処理も中途半端だったりと。
爪に一番大事なのは、甘皮をキレイに取る事なのに、お店によっては、甘皮取りますか?な~んて質問してしまうサロンがあった。正直呆れた。。料金表見たら細かく別れて表記されていた。色を落とすのも料金別だったりと。ジェルとかならわかるがね。安さを売りにしているところほど、そんな感じだった。安くて酷くされるほど嫌な事はないのです。
あれから9年私と小滝さんは、再会した。
どーしても小滝さんに会いたくてニューヨークにやってきた。
人生のステージを年々上げてきた経験を聞いてみたかった。
生活力が必要とされて。。。
小滝さんは、今では誰でも聞いてわかる凄い人のネイルケアを担当している。
しかも、一人や二人ではない。
決して若いとは言えない年齢で、新しい道を歩く選択をした小滝さん。。
勇気。。
ニューヨークここで生きていけたらどこでも生きていける気がした。
ニューヨークには沢山夢や希望も落ちている。チャンスも。。
危険なモノも落ちている。
何を拾うかは自分次第なのである。
人間は沢山色んな経験して成長していく。
素通りしていくか?キチンと考えて自分のモノにしていくのか?
梅宮あんな