一生懸命弁解する麗子の話を半分くらいで聞きながら、波が引くようにスゥゥゥーッと自分の中でなにか麗子に対する情が冷めていくのを感じた私です
そうだよね。
そうだよ…ねぇ
「サラマさん、我が子のライバルになりそうな子供の親御さんのことは気にくわないのだろう」という麗子のアテ推量はいかにも麗子らしいというべきで、普段の言動からスケてみえる彼女の〈他人の取り扱い方〉と矛盾しないなァと私のなかでストンと腑に落ちたのでした。
他人について「あの人はこうだろう」と憶測する時、私たちは基本的には自分の思考をベースに想像を拡げるじゃないですか。
「サラマさんは我が子に競る存在の親が気に入らないのだろう」という予測に行き当たった麗子というのは、なるほど、今までの彼女の言動を振り返って分析してみても、自分の子と競り勝っていく子供の親に対してそういう思いを抱く方なのだな、ということに気づいたんです。
私はさ。
我が子よりも新しく始めたお子さんたちが私の娘よりも高い評価を得たとしてもおそらくそこは気にならないのよ
その道に秀でた人間が飛び級していくことは合理的だと思いますし、もしも麗子のお嬢さんが我が子よりもバレエに光る才能を備えておられるのであれば先に行けばいい。それが筋だろうとさえ思う。
そこじゃないんだよ、麗子よ。
「我が子のライバルになりそうな子供の親御さんのことを気にくわなく思う」だなんて発想がまずもって私にはなかったわけですけれど、これ私がイイ子ぶっているわけでなくて、なんかこう、一般的な日本人的マインドセットとしてそういう発想にならない気がするんですよ。違いますかね?
日本って、「やる以上は真面目にやろうぜ」というか、傾向として、習い事も勉強面も幼少期からガッツリ気合い入っているじゃないですか。
そんな日本に暮らすお母さんたちというのは、少なくない数の方が、我が子がスポーツ少年団や運動部で頑張ってもレギュラー落ちしただとか、学校の定期テストで周りよりも点が取れないだとかいう事態に曝されると想像します。
仲の良い親子のお子さんが我が子よりも高い評価を得るなんてことはどこでも誰の身にも起こり得るのが日本の母親業なんじゃなかろうかと思う私なのですがね、そういうふうに我が子を競争のなかで生かしてきている日本のお母さん方が、日々のなかで我が子よりも高い評価を得たお子さんを憎く思うだとか、そのご家族にライバル心を抱くとかって、あんまりなくないですか。
いや、もちろんそういう方もいらっしゃるのは存じておりますよ。
でも相当レアくないですか?
毎度のことでサラマの感覚を日本人の母親の意見として一般化していいのかは謎なんですけれど、私の交友関係を思い浮かべるとですね、「近所のあそこのお子さん、毎回成績トップなんだって」だとか、「サッカーのユースクラブに入るらしいよ」だとか、そういう状況になった場合に、「あの子、すごいなあ。頑張ってるなあ」っていう尊敬を抱きこそすれ、我が子よりも優秀なお子さんに対して「気に食わない」という思考には絶対ならないのよ
一般的な日本人の親が陥りがちな残念パターンは、そこで、その優秀なお子さんを引き合いに出して比較することかなと思うのですが、それにしたって、やはり、集約するのは「あの子のように努力しなさい」というセルフフォーカスの方向性じゃありません?
おそらく選抜が公平な日本という国の社会だからこそ成り立つ感性なんだけれど、俗にいうスポーツマンシップ的な正々堂々さを「気持ちよい」と是としがちな私たちは、競争においては、ライバルをこきおろすのではなく、この経験を以て己の糧とすべしな感覚が強い気がするんです。
ともかく、麗子の娘さんが我が子のクラスに飛び級してくることを憎く思う気持ちは私にはなかった
人生も中盤過ぎたような年齢の我々がよ、仮によ、なにかをひたむきに一生懸命頑張っている若者とその家族に対して、我が子よりも秀でているという理由だけで対抗心燃やすだなんて…
そんな世界修羅過ぎる、なんて怖いんだろう、と思うんですけど
次、最後です。