でこぼこ地面のジャパン富士山

 

 

私が日本の公園は高低差があるなって知るに至ったのは子を産んで公園で遊ばせるようになってからで、自分はというと、さほど公園遊びをした記憶がないのです。

というのも、サラマの時代は、好き勝手子供だけで山に入ったり川に泳ぎに行ったりしていたのです指差し

 

令和の今では考えられないよね不安

特に、海外で子育てしていて防犯観点からひと時も我が子と離れたことのないジャックマンボウメンタルのサラマとしては、どーーーれだけ "kids should play unsupervised(子供が親の目の届かんところで遊ぶのも大事やで)"と言われても、我が子だけで川だとか山だとか行かせる勇気なんてないわ不安

ただ、海外のyoutuberとかの話を聞いてると、それがアメリカ人であっても「私らが小さい頃は、もっと親の目の届かないところでも外遊びしてたよな」とか言ってるので、まあ、昭和はそういう時代だったのでしょう。

 

ともかく、私が小学生くらいの頃は、公園よりも山やら川やらのほうが魅力的で、空いた時間があれば山に入って遊ぶのに夢中でした。

 

我が家は敷地が山道につながっているというちょっと変わった立地です。

山の斜面がそのまま我が庭につながっていると言いましょうか。

 

その山の斜面で鬼ごっこしたり、段ボールで滑り降りたり、枝に縄をひっかけてターザンロープしたりするのがもーう楽しくて楽しくて目がハート

 

学校終わったらソッコーで我が家に集合して、よく、制服のまま(岡山県は公立も小学生から制服があるのがフツーです)山に入って泥だらけになるまで遊んで「じゃあ明日学校でね!ばいばい!」していました笑

 

「鞄なら置きっぱなしてきたガッコに マジ親に迷惑かけたホントに」を地でいってた我々よ。

今となっては、毎日制服を泥だらけにして帰って来る小学生を前に、あそこのお母さんも…あそこのお母さんも…あそこのお母さんも…、よく許し続けたもんだな、と昭和母たちの寛容さに驚きますわ。

でも メンツの誰一人 ハバ きかせてないんDADA!

 

その、幼い頃から公園に代わる遊び場として慣れ親しんだ我が家の裏にある山なんですが、大木のなかに、ひときわ大きい樫の木がありましてね。

 

 

木が伸びると山って大きくなるんですが、山が大きくなると我が家の陽当たりに障るのですね。

伝統的な造りの日本家屋というのは湿気で傷みます。

 

この樫の木、地元の80歳を越すおじいちゃんが「ワシが小さい頃からすでにかなり大きかった」との証言があり、父も愛着があるらしくなんとか残す方法を模索したのですが、我が家の敷地の陽当たり問題が切実になり、結果、2015年に切ることになりました。

 

重機を入れての大掛かりな作業だったらしいですあんぐり

 

切られることになり枝を落とされた樫↓↓。

 

 

ここらへんの地面が陽を浴びたのいつぶりなんだろう。


この樫のふもともよく段ボールで滑り降りたな。

 

切られて、山から連れていかれる樫の木を見ると、(樫に)たくさん遊んでもらったサラマにもグッとくるものが悲しい

 

 

 

業者の方曰く、この樫の木は推定樹齢450年とか。

 

2015年から450年前っていうと西暦1560年あたりなんですね。

西暦1560年って、室町時代。

 

室町時代からここにあって、ずーーーーーーっとこの地の人々の営みを傍観していたかと思うと、なにやら不思議な気がします。

 

 

 

 

ちなみに、競りで売られる樫。

 

 

親から伝え聞くところによると、この樫を乾燥させたり加工したりすると世に出るまでにもう100年とかかかるらしく。

そちらの専門的なことを分かってないサラマからすると、本当に?その情報確か?って思うんですが、もしもそれが事実だとしたら、私は、この樫が違うかたちになって世に出る前にこの世を去ることになりますよね。

 

ていうか、我が子が生きている間にも世に出ないのでは。

 

木に比べたら人のいのちって短いですね知らんぷり