前回投稿に書いた、太陽光の色についての事実、自分にとってはものすごい大発見だったサラマです指差し

 

 

若い頃に東南アジアで洋服のデザインに携わっていたことを何度か書いてきました。

あまりはっきりと言ったことはないのですが、どちらかというと私は <装う行為> に興味がある側の人間です。

<ファッション> という言葉は簡単に使われがちですが、スタイルという意味まで含んでいることばであるがゆえ、私的に今回の投稿ではちょっと使いづらいので <装う行為>という表現で話を進めさせてください。

 

ただ、興味はあっても、やはり、自分はそれを専門的に勉強してきた人間でないのだなーってことを今回痛感しました。

洋服作りに携わっていた若かりし頃、私、自分が選んだ布地が太陽光の下でどう見えるのかということまで考慮していませんでしたもんね…真顔

 

当時、私のデザインの洋服をたくさん取り扱ってくれていたとあるショップは「縫製が丁寧」という評判で、日本からの観光客が多かったです。

直感で「あの布とこの布でこういうデザイン」と選んでは、縫製スタッフに「その布でサラマさんのイメージの服を仕上げるのは物理的に無理です」だなんてしょっちゅう言われていた私泣き笑い


それでも、いくつか実現した私的に「あったらいいな」のお洋服を手にとってくれたお客さんは大勢いて、私は、その事実から、自分の作ったものが誰かをハッピィにしているのだと信じていました。購入してくださった方々がそれを持って帰った先でどういう状況で纏うのか、もっというとどういう光の下で纏うことが多いのか、ということまで想像を拡げることもなく真顔

 

私のデザインした洋服には南欧的な色がふんだんに使われていました。

太陽が元気いっぱいに降り注ぐ、東南アジアや南欧のカラフルな街中では映えるけれど、日本の、無機質な建物、遠慮がちな室内灯、彩度の低い装いを好む集団の中ではきっと、気軽に纏える種のものではなかったのではないかと今になって振り返るのです。

 

<装う行為> のさなかにある時、どれほどの人が冷静に「普段の生活で自分がどの色の光に晒されるのか」と、光の色までシビアに考慮して装いを決めているのかは謎ですが、〈光の色〉というキーワードを入れて考えて考えてみるだけで、今までなんとなくでしか説明できなかったさまざまな違和感が説明できる気がします。

 

例えば、昔っからのユニクロユーザーならご共感いただけるかもしれませんが、あるタイミング(20年前くらい?)からユニクロ商品に「どうしても馴染まないアイテムが急に増えたな」と感じたことってありません?

私あるんです。

厳密にいつだったか忘れましたが、あるタイミングで、ニット類がすべてしっくりこず「あれ?去年までは見るアイテム、見るアイテムだいたい当たりだったのにな」と不思議に思ったことがあるのです。

おそらくあれは、ちょうどユニクロが海外展開を広げている頃で、国内生産分も海外展開先への供給商品に合わせた(欧米で欧米人の肌をひきたてる)色味にしたのだろうと推測すると合点がいきます。

 

海外で試着して「可愛い!」とフォーリンラブした洋服が、日本に帰って着てみるとまったくしっくりこなかったという経験も、その土地の光の色によって説明できる気がします。

「おかしいな?久しぶりに海外に行って浮かれてたから判断を誤ったのかな」なんて思ったりしていましたが、もしかしたら、実際、海外のその地の光の下では肌にしっくり馴染んだのかもしれません。

その逆もあります。

日本から持っていった洋服が、海外の光の下では肌に馴染まない、という真顔

 

デンマークには、けっこう高価格帯の洋服店に、日本では決してお見かけしない、なんとも着こなしにくそうなぼんやりとした服が並んでいたりするんです。

「こんな色誰が着るの?」みたいに不思議に思っていたのですが、これも、高緯度ならではの青みを引き立てる太陽光を考慮してのことなのかもしれません。

自分の経験からすれば「私には似合わない」と判断するべき色ですが、もしかしたら、高緯度の太陽の光に照らされた私の肌であれば、高緯度の太陽の光に特定の繊維の色が引き立てられたそのぼんやり色がマッチするのかもしれません。

 

40代。

放浪生活の私。

次の夫の任地において、自分の備える素材 ―肌や髪など― がどういう色彩を放つのかをシビアに見極めながら、ひとつひとつ、その土地での日光の色に合うアイテムを見極めていくのも、自分にとってはなかなか楽しいだろうとワクワクしていますひらめき飛び出すハート

 

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光によって引き立てられる色が違うとしたら、やはり、ファンデーションというのは経時的に酸化していくし「つけたまま美しく保つ」ことが難しいのではないだろうか。つける瞬間の安心感のみが気分的なお守りとして機能するだけで、実は、つけない方が美しいのでは知らんぷり