北欧幼児教育については日本でもよく取り上げられるのでご存じの方も多いかと思います指差し

 

幸福度ランキングで上位総ナメの北欧諸国。

「遊び」から物事を学んでいく力を養う方向の教育なのは知られていますが、私が来て初めて知って「へぇ」と目新しく感じたのは、幼児期には、子どもに「社会に受け入れられる振る舞い」を教えるよう意識しているということですあんぐり



いや、フタをあけたら実際にどの程度の割合の園がどの程度達成できているかは謎よ。

 

でも、こちらの保育士と園児との関わり方や集団の促し方を観察していると、教育に携わる側の人間に大なり小なりそういう目的があると考えてみたらつじつまが合うことが多いのでした。

 

叱ったりするような外圧を持って矯正するわけではないので、現実、幼児期からバッチリお行儀よく振舞うことのできる子どもばかりではないのですが、ともかく、そこに〔社会に受け入れられる人間〕を育成しようという目的はあるようなのですね。

幼い頃から socially acceptable way(社会に許容されるやり方)で、交渉して自分の意見を通していく方法、自分のエゴをどの程度受け入れてもらえるのかの観察、集団全員が納得するやり方の模索などを自分で見つけていけるように、そばで見守るのが大人という。

 

これについて私は「なるほど!!」と唸ったのですよね。

 

どんなちびっこもいずれ成長に伴ってなんらかの能力が備わっていくわけですよ。

能力の持ち主が、その能力を社会のために活かせなければその能力の持ち主自身も不幸ですし、うまくいけばその能力の恩恵を享受できたはずの人たちも利益を損なう。

 

すごく単純な話。

自分にイジワルをしてくる相手に愛を持って接することができないのは自然で。

ある個人が自分のできる能力で自発的に〔社会〕に貢献したいと思うためにはそのある人は〔社会〕に愛情を抱いていなければならず、〔社会〕に愛情を抱くためにはある人が〔社会〕から受け入れられているという実感を持てていなければならないわけです。

 

アドラー心理学の『共同体感覚』の原理を思い出したわ。

 

サラマ、近しい関係の人にアドラーの専門家がいましてね知らんぷり

アドラーご存じでしょうか、『嫌われる勇気』のベストセラーからグン!と知名度あがった人。

日本ではたぶん〔課題の分離〕というお役立ちアイディア提唱した人ってな扱いなのかな?

私自身はもともと特定の思想に傾倒することはない上にしっくりこないところもあるのでアドラーネタも楽しく聞いている程度なんですが、アドラーの提唱のなかでひとつ、実感を持って「そうだな」と感じるので覚えてるのが、アドラー心理学の柱にもなっている『共同体感覚』なんですね。

自分の属する共同体(コミュニティ)において「自分はここの一員(構成員)なんだ」という実感しているという感覚のことなんですが、これが欠けていると、その共同体に貢献しようとか責任持とうという感覚がなくなる、という考え方です。

アドラーは「自分は幸せだ」と感じるためにはこの「共同体から受け入れられている」という『共同体感覚』が必須であるということも唱えておりますが、この『共同体感覚』が幸福度の鍵になるというのは自分の地元に住む人たちを見ていたら的外れている気はしません。

 

デンマークという国が、将来のリターンを意識してそうしているのかどうかということは謎ですが、社会からしっかり受け入れられる人間が社会に仇なす可能性は低いですし、「受け入れてもらえている」ことで「貢献したい」という気持ちが湧くものだとすると、デンマークがうまくまわっていてしかも幸福度が高いのは、自分の育った環境を例に『共同体感覚』を当てはめている私的には納得がいくのでした知らんぷり

 

なんかこれ、戦略としてやってるわけではないんでしょうけれども、戦略としてはうまいですよね。

日本は、優秀な人材を育てることに注力していますが(そのやり方が効果的かは置いておいて)、そこで優秀に育った人をのちに回収する戦略を欠いている気がします。

 

 

都知事選、楽しみですよね…知らんぷり知らんぷり知らんぷり