交流のあるブロガーさんのご投稿が面白かったのでお題に乗っかって書いてみようと思うサザエでサラマでございまーす
そのブロガーさんの着眼点とは離れ、私の気を引いた要素のみをお題にまとめてみます。
「あなたはヨーロッパで働いています。その職場で自分だけがヨーロッパ人の同僚たちの輪に入れてもらえないという状況に置かれた時、あなたならその状況をメンタル的にどう捌きますか」と、こういうふうになるでしょうか
「一見皆と同じように雇用されて職場ではうまくやれているような気がしても自分だけアフター5には呼ばれない」
「多様性うたう職場なのに、ヨーロッパ勢がつるむ相手は結局ヨーロッパ勢ばかりで非ヨーロッパ人である自分は輪に入れない」
とかそういう状況なんですどね、それをメンタル的にどう捌くかというのはズバリ具体的には「私ハブられてる」とショックを受けて職場を去るか、「そんなこといちいち気にしてらんねー」とスルーして働き続けるかどちらですか、という問いです。
交流してくだっているそのブロガーさんはヨーロッパ某国のPh.D.ホルダーで現在もヨーロッパ企業にエンジニアとして正規雇用されている方、言い換えれば、ヨーロッパにて現地の人と肩を並べてバリバリお仕事されいる方なのですけれども、今サラマが例に挙げたような状況について「そんなのはイジメだからその職場は辞めるべき」と主張する海外在住の日本人インフルエンサーとSNS上で意見が対立した、ということをご自身の投稿にアップされていて、人ゴトながらちょっとおもしろかったです。
ブロガーさんはそれを東洋女性に対する偏見と絡めて考察しておられるのですが、また別視点から掘り込めるネタだと感じてそれを3回に分けて触れてみたいサラマなのでしたぁ
ヨーロッパにおいて〔出自に絡む差別〕や偏見はないのか、というと、サラマは「ある」と捉えている側なのですね。
私は海外企業で働いている友人が少なくないのですが、うっかり差別に遭っちゃっている友達とかの話を聞くと、なるほど、近年、差別行動も進化してきているなという印象です。
どう進化しているかというと、やっぱり、すぐに撮影されたり盗聴されたり物的証拠が整いやすい昨今、うかうかうっかり意地悪していると自分の首も危うくなりますから〈疎外の仕方〉もどんどん洗練されて巧妙、一見して差別と分かりにくい微妙なラインを攻める傾向に向かうんだなあ、という感想を抱きました
私の理解では、ヨーロッパにおいては、立場的に〈非ヨーロッパ人女性〉<〈非ヨーロッパ人男性orヨーロッパ人女性〉<〈ヨーロッパ人男性〉なのですが、近年はというと、なにかが起こった場合にそれが本当に出自(人種やバックグラウンドに絡むもの)のせいなのかどうかというのはひと昔前に比べてすごい見分けにくいんだろうなあ、これからどんどんもっと見分けにくくなっていくのだろうと予想しています。
同時に〔出自に絡む差別〕には消滅以外の道は残されていないことも感じます。
それが何年後になるか分かりませんが、どこからどう予想しても〔出自に絡む差別〕なるものに生き残る道ナシ。
ただ、いつかは消滅するとはいえ、もうしばらくは運が悪ければそういう目に遭う時代が続くわけです。
前回の一時帰国に感じたのですが、お子さんが小さいうちから英語に傾倒するママさんたちのなかには「将来我が子が望めば国際的に活躍させてあげたいから英語に力入れてる」という仰る方もいて、失礼ながら、なかには、たとえば日本国外にて労働許可を取ることのハードルの高さはもちろんのこと、アウェイ(ヨーロッパやアメリカ)で働いていく時には、たくさんのメンタル削る出来事があるだろうことまで勘案できていない方もいらっしゃるのではないかと感じてしまいました
私の世代ですでに海外の大学卒、院卒の方ってたくさんいます。
が、海外の学校を出てもそのあと日本で働いている人も大勢いるわけで、別にそれは決して海外で就職できなかったからしぶしぶ日本に帰ってきているというわけではなくて、いろんな事情によって積極的に「日本で働こう」と決めて戻っている方もいます。
結局、アウェイの地で生き抜いていくことというのは、なにがなんでも「ここでやりたい」、「どんな事態でもくらいついてやっていきたい」という強い思いが当事者にないとしんどいだろうと想像するサラマなのでした。
子供ってお母さんが自分に何を望んでいるかをすごく敏感に察知して親の望む自分であろうとしますよね。
お子様が主体的に望まない年齢から親が口に出して「将来は海外でバリバリやりなさい」と唱えながら育てるのもなかなかに無責任な呪いな気がしないでもありません
将来アウェイの地で苦難にぶち当たるのは本人であって親じゃないですもん。
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